テーマ:夏目漱石(54)
カテゴリ:夏目漱石
硝子戸(ガラスど)の中(うち)から外を見渡すと、霜除(しもよけ)をした芭蕉(ばしょう)だの、赤い実(み)の結(な)った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来(こ)ない。書斎にいる私の眼界は極(きわ)めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。
その上私は去年の暮から風邪(かぜ)を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐(すわ)っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。(『硝子戸の中』より) 【上記の感想】 漱石の『硝子戸の中』を読了。 上記は、その冒頭である。 『硝子戸の中』は1915年の作物である。 当時の余暇の過ごし方が、今とはまるで違うのに惹かれた。 家庭にはテレビはもちろん音響機器もない。 娯楽と言えば、寄席に行くこととか、講談を聞くこととかだったようだ。 今のように刺激的な娯楽が多いと、話を聴いて何が面白いのかと思う(^。^ゞ 漱石の作物を通して、もう少し100年前の世界に触れてみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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