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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2020.01.28
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2004年《書物》の旅 (その11​)​
         別役実「思いちがい辞典」(ちくま文庫)

​​​ 先日、(2004年の先日)別役実という劇作家の「賢治幻想 電信柱の歌」という演劇を観ました。傘付裸電球の街灯がついている電信柱の下に宮沢賢治が佇んでいるというイメージのお芝居ですが、まあ、あくまでもイメージです。​
 さて、その別役実は人間社会の不条理なありさまを描くことを得意とした、現在の日本を代表する劇作家の一人です。著書は戯曲をはじめとして数え切れないほどあります。
 僕の手元にも、今、ちょっと見ただけでも「当世・商売往来」(岩波新書)・「日々の暮らし方」(白水Uブックス)・「思いちがい辞典」(ちくま文庫)という感じで、まだまだあります。こんな事いくら言っても、題だけではよくわからないですね。それでは、とりあえず「思いちがい辞典」の中から、「デンワキ(電話機)」と題されている一章を引用してみましょう。いかにも、別役実という文章です。長くなりますが読んでみて下さい。​​​​​​​

 「命の電話」というのがある。死にたくなった時にそこへ電話すると、死にたくなくならせてくれるというのである。一部には、「生きる希望を与えてくれるらしいぞ」という説もあるのだが、如何に「命の電話」とは言え、そこまで無謀なことはしていないであろう。利害得失のことを考えれば、生命保険会社あたりが金を出して、これを維持しているのかもしれない。
 同じことなら、葬儀社あたりに金を出させて生きたくてたまらない奴がそこへ電話すると、たちまち死んでしまいたくなるよう、「死の電話」というのもあってしかるべきようにおもわれるが、それはまだないのである。
 ともかく、電話という現代の錯綜した対人関係を縫う、この奇妙な回路のことを考える時、その最深部には常に、この「命の電話」と、可能性としての「死の電話」が想定されているような気がしてならない。
 いわゆる「電話機」というのは、電話という特殊な回路を通じて、いきなりその相手の「生」と「死」そのものに立ち会うことが出来るのであり、その可能性をにらみつつ相手をもてあそぶことが出来るのである。
 電話は、ことばを伝達する回路というより、むしろ皮膚と皮膚との接触感覚を送りこむ回路と言えよう。電話は「話す」のではなく「触る」のである。
 ひところ、子供たち同士の熱心な電話による会話が、問題になったことがあった。彼等は学校で、もしくはそれに類する公共の場所で、会話することが可能であり現にそうしている相手と、夜あらためて電話で長々と話をするのである。このことは、学校もしくはそれに類する公共の場所での会話とは、明らかに異なった種類の会話が電話では可能なのだ、という事実を示すものであり、それこそ、この種の「触りあい」もしくは「じゃれあい」にほかならないと、私は考えるのである。

 そして電話はまた、正面玄関からノックをして礼儀正しく訪問するというより、むしろ裏口から、ベルの音と「もしもし」という儀礼だけを、ほとんど儀礼とも思えないようなやり方で伝え、いきなり侵入してくる。
 言ってみれば電話は、「出合う」前に「忍びこむ」のである。気がついた時には、既にそいつは我々の内部にいるのだ。人が、手紙での借金依頼は容易に断れるのに、電話での借金依頼を断り難いのは、そのせいだろう。
 電話でその話を聞くことによって我々は、彼が借金をしなければならない事情を、いつの間にか共有してしまっているからである。私自身、手紙での原稿依頼はたいてい断っているのだが、電話でのそれは、たいてい引き受けてしまっている。

 かつて文明が手紙というものを発明した時、当時の人びとは賢明にも、手紙文体というものを作りあげた。日常用語でそれがやりとりされたら、それは単なる言葉の伝達ではなく、一方的に相手の生理に侵入し、その個体を損なうものにもなりかねないことを、よく知っていたのであろう。
 従って文明が電話を発明した時、我々が電話文体を作りあげなかったのは、致命的な失敗と言えよう。電話は、手紙よりも更に、我々の内部と内部を結びつけるものだからである。

 電話でもっとも無気味なのは、ベルがなって受話器を取りあげ耳に当てたとたん、「俺だよ」と言われ、それが誰なのかわからない数秒間であろう。しかもそいつは、そのとき既に我々の内部にいるのである。わけがわからないまま二、三応答があって、「間違いでした」と言って相手に電話を切られてしまうと、その無気味さは、更に確実なものとなる。
 つまり、受話器を耳にあて相手に「俺だよ」と言われたとたん、たとえそれが誰なのかわからないにしても、それを聞き、その相手を既に我々の内部に侵入しているものと認めることによって、彼と我々との間に、ある「暗黙の了解」が成立したと見なさざるを得ないからである。
 この種の、電話が電話であるというだけの理由で成立してしまう「暗黙の了解」ほど、電話という回路の特殊性を説明するものはないであろう。
 ある家庭の、夕食後の団欒の場でその主人に電話がかかってくる。彼は、その場の話題に半分関心を残しながら、電話でのやりとりをし、やがて電話を切る。同時にその場の話もひとくぎりついて、主婦が主人に「どなたからの電話?」と聞く。そこで主人が「えっ?」となるのだ。つまり彼は、誰からの電話かわからないまま、話をしてしまったことに、その時はじめて気がつく、というわけである。
 しかも、この場合重要なのは、にもかかわらず彼がその相手と確実に何ごとかを交し得たということであろう。もしかしたら、この家庭のこの場に電話を侵入させた相手こそ「電話魔」と言えるかもしれない。

​ このようにして現在、我々の文明のある地層に、電話回線を通じての奇妙な生理的共同体が形成されつつある。電話線を切ってしまわない限り、すべての「暗黙の了解」を拒絶し、独立してそれ自体完結した個体たらんとしているどんな人間も、溶解して半身でそれを共有せざるを得なくさせられつつあるのだ。
 不安神経症としての「電話恐怖症」は、このあたりから出てくるものに違いない。​

​​​​​​​​​​​ ​ぼくの友人には、本物の「命の電話」のボランティアをしている人もいるわけで、書き出しには「おいおい」というニュアンスがありますが、まあ、そこはそれ別役実ということでご容赦いただきたいわけですが、いかがでしょうか。というわけで、賢治の話はまた今度。(S​発行日 2004・11・4
追記2020・01・28
 昔、高校生相手に「読書案内」と称して書いていた記事です。時間が15年ほど古いので、取り扱いに注意してください。別役さんは、べつに古びているわけではありません。
 2004年《書物》の旅(その1(その10・​​(その12はそれぞれをクリックしてみてください。​
​​​追記2020・03・12
 今年の3月3日に亡くなったというニュースを、石牟礼道子さんの本の案内を書いていて知りました。別役さん石牟礼さんが苦しんだパーキンソン病だったそうです。82歳だったそうですが、ぼく自身が二十代から読み続けていた人が、次々と亡くなるのはとても哀しく、寂しいものです。今でも上演される戯曲がたくさんあるそうですが、エッセイだけでなく、戯曲なんかも、少しづつ「案内」していければと思っています。
追記2020・09・13
別役実​「台詞の風景」​(白水社)の案内は書名をクリックしてみてください。
​​​​追記2022・09・08
 昨日、上記の「台詞の風景」を修繕しました。そのついでにこちらの修繕もしています。
 8月の下旬からコロナで寝ていて思ったことなのですが、こうしてブログとかを投稿していると読者のみなさんのアクセス数とかが気になるのですが、アクセス数は、その時に流行っている本や映画について投稿すれば、格段に増えます。で、もともとが、調子乗りですから、ここのところ流行りを追いかけるということになりがちでした。
 でも、それって、違うんですよね。「読書案内」を始めたのは今から20年ほど前、仕事で出会っている高校生に「本」を紹介したかったからです。大切なことは「皆さんご存知ない古い本ですが」という、まあ、コンセプトなのですね。
 コロナから解放されて、元町商店街を歩いていて、偶然ですが、10年前の、最後の教え子さんに出会いました。
 「センセー、ボク、最近、本読んでますよ!」
 彼は、今では立派なサラリーマンなわけですが、開口一番のこの発言はうれしかったですね。いい「本」か、本当に「面白い」か、まあ、当てにはなりません。でも、そろそろ30代に差し掛かる彼らが、古本屋の棚とか、図書館の棚で探し直して読んで、できれば「おっ、これ、いいじゃないか!」と言ってくれる「本」を案内​することが、ぼくなんかの役割だということを忘れたらあかんなと思いました。
 ハヤリ決別宣言というわけではありませんが、古い本に、もう一度しっかり回帰したいと思いました。​​

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最終更新日  2022.09.08 09:25:38
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