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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2021.12.11
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​週刊 読書案内 石原燃「赤い砂を蹴る」(文芸春秋)​​
​ ​本読みのお友達にすすめられて石原燃という人の「赤い砂を蹴る」(文藝春秋社)という小説を読みました。2020年芥川賞の候補になった作品だそうです。​
 読みすすめながら、久しぶりに「寵児」(講談社文芸文庫)「光の領分」(講談社文芸文庫)、そして「火の山 山猿記(上・下)」(講談社文庫)の作家で、2016年、68歳の若さで逝った津島祐子を思い出しました。 
 読みながら「はてな?」と気になって調べたのですが、石原燃という方は女性で、津島佑子のお嬢さん、だから、太宰治のお孫さんに当たる方だそうで、お名前は「いしはらねん」とお読みするようです。「なるほど、そうか。」と納得しました。
​​​​「赤い砂を蹴る」と題されたこの作品は南千夏というフリーのライターである女性が、画家である母恭子の友人で、日系ブラジル人芽衣子とともに、芽衣子の故郷であるブラジルの日系移民の経営する農場を訪れる、いわばロード・ムービー風の旅の物語でした。​​​​
 ​​その部屋には母と、父親のちがう弟の大輝と、三人で暮らしていた。
 引っ越してきたのは、大輝が小学校に上がる年だっただろうか、私は四つ年上だったから、小学校四年生だったことになる。それから、中学を卒業するまぎわまでここに住んでいたのだが、そのとき大輝はもういなかった。
 私が小学校を卒業する二日前の夜、大輝はひとりでお風呂に入り、心臓発作を起こして息を引き取った。(P20)​​
 ​大輝を失ってからしばらく、母は大輝の姿だけを描くようになった。それが何枚も積み重なるうちに、大輝の姿は歴史の中で命を落とした子供たちの姿と重なり、一つの壮大な連作として、母の中期の代表作となった。
 あの頃の母もこんなふう気持ちで大輝を描き続けたのかもしれないと思う。いや、どうなんだろう。よくわからない。
 母の絵から自分の姿が消えてしまったことに傷ついたこともあった、でも、今はそんな単純なことでもないと思う。だって私は生きているのだから。
生きている人間を一方的に絵に閉じ込めることはできないのだから。(P22)​​
​ 作品が始まって、主人公がこんなふうに語り始めるのを読みながら、石原燃という作家が小説家津島祐子の長女であるということが、否応なく浮かんできました。津島佑子の作家としての登場に出会ったのは、40年以上も昔、学生時代でしたが、その頃の彼女の「光の領分」という作品には、中学生の少女が登場したと思いますが、作家であった母、津島佑子によって、その作品中に召喚された少女が、今、自分の言葉で語り始めているという印象です。
 「赤い砂を蹴る」という、この作品中の​母恭子​のモデルが、石原然という作家の母であろうがなかろうが、作品の小説としての価値という観点に立てばどうでもいいことです。

 実際、この作品には日系ブラジル移民の私生児で、日本人の男性と結婚し、来日して数十年、この国で暮らしながら、国籍を取得できないまま、アルコール依存症の夫を見取り、今、「日本国籍」取得のために、故郷ブラジルを訪れる旅をしている芽衣子という、実に魅力的な女性が登場します。
 作家は芽衣子の生い立ち、日本での生活の様子を描きながら、ブラジル移民の戦後史、国籍や、近代の家族制度といった、今時珍しい大きな構図の作品に挑んでいる様子で、実にすがすがしい印象を持ちました。
 しかし、主人公千夏が語る物語は、否応なく作家石原然の母津島佑子と、その作品を彷彿とさせてしまいます。理由は、読者であるぼく自身の思い込みによるところが大きいのでしょうが、たとえば、引用のなかの「あの頃の母もこんなふう気持ちで大輝を描き続けたのかもしれないと思う。」という記述などには、主人公千夏の、という以前に、今、小説を書いている​石原然​自身の述懐としか思えない唐突さ、あるいは、不思議な二重底を感じさせて、実に興味深く読みました。
​​ ​どれくらい時間が経ったのだろう。ぼんやりと立ち尽くして、風呂上がりの子供のように拭かれるままになっていた。小さいころ、こんなふうに身体を拭かれたことがあった。やわらかいタオルの感触が懐かしい。
 「びっくりしたよ、雨の中走りまわっているんだもん。」
 聞き覚えのある声が、耳元で聞こえる。
 ぼんやりと、肌に当たる冷たさを思い出す。
 震えが止まらない。そういえば服が濡れている。髪の毛から水がしたたる。
 タオルを肩にかけたまま、めがねを外してTシャツで拭いた。濡れたTシャツではうまく拭けず、めがねをかけると、水滴のつぶが見えた。(P156~P157)​​​
​ 主人公千夏がブラジルのスコールにずぶぬれになったシーンです。彼女が耳にする声はその場にいる芽衣子の声であり、思い出の中の母恭子の声でもあるというダブル・ミーニングに加えて、作家にとっての母、津島佑子の声が優しく聞こえてくると感じさせる哀切なラストです。
 母の小説の登場人物であった少女が、小説家石原然として産声を上げたという印象を持ちました。
 ​「めがねをかけると、水滴のつぶが見えた。」​という、この作品の最後の一文を読みながら太宰治の娘であった津島佑子が、自らのルーツをさぐる「火の国 山猿記」で、父の姿を書いていたことを思い出したのでした。
 皆さん、あの太宰のお孫さんが小説を書き始めましたよ(笑)。

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最終更新日  2021.12.11 02:23:22
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