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ゴジラ老人シマクマ君の日々

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2022.02.01
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​​須賀敦子「遠い朝の本たち」(筑摩書房)

 今回案内するのは須賀敦子「遠い朝の本たち」(筑摩書房・ちくま文庫)です。今更案内するもなにも、名著中の名著というべきエッセイ集です。幸田文「父 こんなこと」「みそっかす」を読み直していて、なんとなく気にかかったのがこの人のエッセイでした。
 新年になって何気なく手にとって、巻頭に収められた「しげちゃんの昇天」を読み始めて止まらなくなりました。
 ​​夫が死んだとき、北海道の修道院にいたしげちゃんから、誰からももらったことのないほど長い手紙がイタリアにいた私のところにとどいた。卒業以来、彼女からもらった、はじめて手紙だった。学校も病院も経営していない、ひたすら祈りだけに明け暮れる彼女の修道院がひどい貧乏で、シスターたちが食べるものまで倹約しているという話も、人づてに聞いていたが、しげちゃんの手紙にはそんなことは一言もふれていなくて、むかしのままのまるっこい書体で、私の試練を気づかうことばが綿々とつづられていた。こころのこもったそのことばよりも、なによりも、私は彼女の書体がなつかしかった。修道女になっても、まだおんなじ字を書いている、と私は思った。もう変体仮名はまじっていなかったけれど、教室でとなりにすわったとき、私のノートのはしに、思い出したことなどをちょちょっと書きつける、あのおなじ文字だったし、なによりも、むかし、あなただけよと言って読ませてくれた、うすい鉛筆で書いた堀辰雄ふうの小説の、あの字だったのがなつかしかった。手紙の終わりのほうに、修道院では人手がたりなくて、冬のあいだの屋根の雪おろしがたいへんだとだけ書いてあった。じげちゃんの、ぷくぷくした色白の手が、しもやけになっていないかと私は思った。赤くはれた手で、ペンを持つしげちゃんを、私は想像した。(P91~92)​​
​​​ 須賀敦子が、昭和の10年代でしょうか、その頃、阪急があったどうかはわかりませんが、今の阪急今津線の沿線にある小林(おばやし)駅聖心女学院に通っていたころから東京聖心女子大学まで、ずっと同級生で、大学を出て修道女になった「しげちゃん」という旧友の死に際して、思い出を語った文章の一節です。​​
 調布で会ったとき、大学のころの話をして、ほんとうにあのころはなにひとつわかっていなかった、と私があきれると、しげちゃんはふっと涙ぐんで、言った。ほんとうよねえ、人生って、ただごとじゃなにのよねえ、それなのに、私たちはあんなに大いばり、生きてた。
 しげちゃんが、ただごとでない人生を終えて昇天したのは、それからひと月もしないうちだった。(P93)
​ こんなふうにこのエッセイは終えられるのですが、そこまで読み終えて、読んでいた本の奥付を見て愕然としました。
須賀敦子(すがあつこ)
1929年生まれ
1998年3月20日、没。
「遠い朝の本たち」
1998年4月25日第1刷発行 
1998年9月25日第8刷発行
​ 彼女が読者に向けて書いていた期間は10年に満たなかったのです。ぼく自身が彼女の作品を読み始めて30年の年月が経つわけですが、うかつにも、ただの一度も、そのことに気づかなかったのです。たった8年間のあいだに全集8巻分もの作品が書き残されたわけですが、そこにある彼女の仕事は、あたかも、限りある人生の短い有余を知るかのような緩みのない美しい文章で、ぼくの中では、今でも色あせることはありませんが、それにしてもたった8年間だったのです。
 ​須賀敦子​「ミラノ霧の風景」(白水社)でエッセイストして、初めて脚光を浴びたのは1990年のことでした。そのとき彼女は61歳です。で、今回の「遠い朝の本たち」(筑摩書房)が出版されたのが1998年4月25日です。
 彼女が69歳で亡くなった翌月に出された本ですから、遺作ということになるかもしれません。しかし、この本に所収されているエッセイは1991年ごろから、筑摩書房「国語通信」、高校の国語の教員とかにサービスで配布されたPR誌のようなものですが、その雑誌に書き継がれた作品で、今思えば、むしろ初期の作品ということになるのかもしれません。とはいうものの、この本に収められたエッセイに初期を感じさせる文章はどこにもありません。そのうえ、その当時亡くなった友人の死についての思い出が、まあ、本を作った編集者の意図もあるのかもしれませんが、巻頭を飾っています。そのあたりにも、限られた有余に対する、覚悟のようなものを、今となっては感じてしまうのです。
 本書では、ここから「ただ事ではなかった」人生の始まり、子供時代の彼女の本との出会いが、思い出を楽しみながらかみしめる風情で記されています。
 最近よく思うことですが、以前、一度ならず読んだことのある作品や文章が、記憶とは違った印象で、妙に胸を打つのです。その感覚は須賀敦子も、これらのエッセイを書くにあたって、ひょっとすると感じたことではないでしょうか。彼女が亡くなった年齢を目前にした老人が、新しい年の始めに、ゆっくり読みすすめるに恰好の文章でした。
 話が須賀敦子の生没年の方向にそれてしまいましたが、読んでいて案内したいと思ったのは別のことでした。というわけで「案内」その2に続きます。そちらも覗いていただければと思います(笑)。​​​​​​​​​​​​​​​​


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最終更新日  2022.05.26 09:17:59
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