tak-shonai さんが、ブログに乗りにくい情報というものがある、という事を書いている
ブログというのはインターネット上に存在していて、そこにアクセスするには、PCの知識とワープロの技術が必要である ある年令以上の人には、これはかなり高い壁かも知れない そのせいなのか、例えば戦前・戦中の想い出などがブログに書かれることはあまりない ネット上では、そういう時代の記憶が途絶えているのである その点、私の「ベトナム ベトナム戦争の想い出」というカテゴリーに記した私の経験談は、案外貴重なものかもしれない 私自身、ネット上でベトナム戦争中の記憶を綴ったブログを今まで探してきたのだが、ついにそういうものには行き当たらなかった ―――― ◇ ―――― 本日、この前の日記に、ARVNさんという方が、私のヴィエトナムに関するブログ記事を読んだというコメントを書いてくださった ゲストさんで、私のヴィエトナム記事にコメントを寄せてくださった方は初めてなので、実にうれしかった それにARVNさんご自身、ヴィエトナムになんと20回も行かれたと言うほどの、ヴィエトナムずき これに刺激されて、ヴィエトナム関連の想い出をもう少し、絞り出してみようと思う まず、いままで【復刻日記】にしていなかった記事を ―――― ◇ ―――― デプチャイとは、ヴィエトナム語で「ハンサム」「男前」という意味である 【復刻日記】 ♪ 私のラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人 こんな古い歌がある。 ラバさんとは、「lover」、つまり恋人・愛人のことであろう。 「酋長の娘」 石田一松 作詞・作曲 (西暦1930年、昭和5年) わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが 南洋じゃ美人 赤道直下 マーシャル群島 ヤシの木陰で テクテク踊る 踊れ踊れ どぶろくのんで 明日は嬉しい 首の祭り 踊れ踊れ 踊らぬものに 誰がお嫁に 行くものか 昨日浜で見た 酋長の娘 今日はバナナの 木陰で眠る 「明日は嬉しい 首の祭り」って、怖いじゃない! だって「首の祭り」って「首刈の祭り」でしょ? それはともかく、この歌詞など、今となっては多少人種差別的な感じもするが、いずれにしても民族特有の美意識というものがあって、ところ変われば品変わるというか、国によって好まれる容貌というものがちがうという、文化人類学研究の珠玉の成果がこの言葉だと・・・、そんなわけは無いが、私も南洋じゃ美人・・・では無く、ある地区限定で、というか、ある国限定で、男前だったことがあるのである。 私はいつも「ヴィエトナムは最高」と書く。 それは気候風土が温暖だとか、食い物が美味しいとか、ネーチャンがキレイだ・・・等で、フォーク・クルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」の様な理屈を書いたが、実はそれまで、女性に振られるばかりでモテたことの無かった私が、現地のオネーチャン達に「男前・ハンサム」と呼ばれた国がヴィエトナムであるからこそ、私はヴィエトナムをほめたたえ、日本のメーカーの海外立地も、反日感情のうずまく中国から、美人国ヴィエトナムへぜひ転換すべきだと声を大にしているのである。 以前書いたようにサイゴン(ホーチミン)には、旧宗主国フランスの文化であるバーが多かった。 そこにはミニスカートで小麦色の肌の美人達がお客を待っている。 私がバーに入っていくと、オネーチャン達が、「デプチャ~イ!」と声を上げるのである。 デプチャイとは、ヴィエトナム語で「ハンサム」「男前」という意味である。 「デップ」が美しいという意味、「チャイ」は英語の「やつ Guy」というところだろうか? これが一軒のバーだけなら、たまたまかもしれないが、ほとんど、どのバーに入ってもオネーチャン方にそう呼びかけられた。 私が南洋じゃ、イヤ、ヴィエトナムではハンサムであると言うことは、このオネーチャン達がけなげに証明してくれたのである。 そればかりか、それに浮かれて毎晩、バー通いを始めたのである。 ヴィエトナムのバー・ガールさんたち、ありがとう! ここで珠玉の格言を作ってみよう。 【人は、おだてられて進歩するものである alex】 バーに入った客は、自分の飲み物以外に、サイゴン・ティーと呼ばれる紅茶を女の子におごり(このお茶代が彼女たちの収入になる)、女の子との歓談の時間を確保することになる。 客の方からおごりたいと申し出たり、女の子の方から「おごってちょうだい」とねだられたりである。 バーの客は、今戦場から帰ってきたばかりの兵士達である。 その他、MP(憲兵)もいたし、特殊部隊のグリーンベレー達もいた。 戦闘服のままの大男達が、拳銃や大きなナイフを腰にぶら下げて、頑丈な軍靴でガツガツと床を踏みならしながら歩く。 魅力的な女の子がいると、客同士で争いになることもある。 兵士があまり懐の豊かではないのと、金払いがよくないことを知っているバーガール達は、金払いのいい「デプチャイ」?の!私の方を優先する。 一度、きれいな女の子が私を選んだとき、負けた?兵士が、ポパイのような重量級でイメージとしては軍曹という感じの大男だが、負けた悔しさにビールの缶をギュッと片手で握りつぶしたのには肝を冷やした。 あのころ、ヴィエトナムではビールのアルミ缶が出始めていたので、多分そのアルミ缶だったのだろうけれど、それにしても怖かった。 ある時、あるバーで、混血の美女とお茶していたとき、彼女が「貴方は私の彼氏とそっくりなのよ」と言い出した。 その彼氏とは香港のカンフーのスターで、最近サイゴンに、多分、映画祭のあいさつか何かで来ていて、彼女と恋仲になったのだという。 その証拠という2ショットの写真も見せられたが、俳優の容貌は記憶に無い。 名前もおぼえていない。 何でも隻腕の(片腕の)剣士なのだという。 ただ、私はカンフー映画を見に行ったことが無かったし、興味がなかったし、日本にもあまり紹介されていなかったし、「ふ~~ん、そうなの」というだけだったが、その美女には大いに関心があった。 その証拠に、彼女とのバーでの会話をテープにとってある。 騒がしいバーの雰囲気の中、彼女の優しい声の訛りのある英語がかすかに聞こえるテープである。 ―――― ◇ ―――― それ以降、私はデプチャイと呼ばれなくなった。 代わりに私は、そのカンフー・スターの名前で呼ばれるようになった。 夜、バー街を歩いていると、バーから出て道路沿いに並んでいるバー・ガールが、「○○○○!!」と、そろって、カンフー・スターの名前で、私に声をかけるのである。 どうも全員にそう認知されたらしい。 なんだか晴れがましいというか、照れくさいというか・・・。 私にとってはデプチャイの方がよかった。 その剣士俳優の映画を観たこともないし、顔も知らないのだから。 実は、最近、あるメル友にこの話をしたら、そのカンフー男優映像をメールに添付してくれた。 はたして私に似ているのかどうか?私自身にはよくわからない。 自分の顔がどんな顔なのか?案外わからないものである。 私も小さいころチャンバラをもっとやっておけばよかった。 せっかく習いに行ったのに先生が乗り気でなく、やりたかったのにやれなかった剣道をやっていればよかった。 そうすれば、香港で日流剣士として名をなしたかも知れない。 そうして、サイゴンへ晴れの凱旋をして、あの美女が、私の胸に飛び込んできたかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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alexさん 日記復活大歓迎です♪
「酋長の娘」の第一節は、何故か両親から聞かされて耳に覚えがありますが、歌詞全部を拝見したのは初めてでありました。当時の日本人の南洋進出の熱気が感じられますネ♪ ベトナムには1993年に一度ホーチミンに香港から行った事がありますが、中国と違って清潔なのに驚いた記憶があります。市場に言っても床に何も落ちていない…。ベタベタの中国とは大違いでありました ( ̄▽ ̄)♪ (2009.06.17 22:42:26)
まさに、ウェブに乗りにくい情報というのはあります。
戦争体験みたいなものは本当に貧弱ですし、全共闘世代の話も、充実してません。ということは、団塊の世代というのが、ウェブの世界の分水嶺なのかもしれません。 alex さんのこうした情報は、その意味で本当に貴重だと思います。国家的なアーカイブに所蔵してもいいぐらいだと思います。 (それには、ちょっと艶っぽい話題が多すぎるかもしれませんが ^^;) (2009.06.17 23:06:26)
お久しぶり。
私も実生活をこなすため不眠亭休業中いいことに一つ二つ仕事をこなせました。 言葉のアルコールが抜けたのはちょっと寂しい感じもしましたが。(シャンペン爆撃は近じか考えていますので(笑)) このデブチャイというのは、バーの美女達がマスターだけに言っていたのか、それともすべての客に言っていたのか興味があります。 すべての男性に言っていたとしたら、それは中国本土 バーでの『○○先生』『○○大人』に値すると思いますし、韓国の『社長』にも値すると思います。 (この場合のデブチョイはぐーんと価値がさがりますが)(笑) マスターはまさか黄色い声で『きぇー!!!つやー!!』とか叫んで美女達のバーに通ったんじゃないでしょうね。(そんな日もあったような気もしますが) 私は1995年にサイゴン(ホーチミン)アンコールワットに行きました。 市場でおばあちゃんが一生懸命4-5才の孫の女の子をもらってくれと真剣に言われてどきもを抜かれた想い出があります。 tak-shonaiさん 私はもろ全共闘の時代団塊の時代人間でその時代の人の気持ちがわかるのですが、ウェブの世界の分水嶺という分析も理解できます。 でもわれわれはまだその時代を消化し切れなくて 思い出として語れないというのが本音です。 当時のはやり言葉で(自己批判できていないのですよ) (2009.06.18 06:57:38)
Marketplaceさん
>alexさん 日記復活大歓迎です♪ ---- ありがとうございます >「酋長の娘」の第一節は、何故か両親から聞かされて耳に覚えがありますが、歌詞全部を拝見したのは初めてでありました。当時の日本人の南洋進出の熱気が感じられますネ♪ ーーー 当時は、南洋が身近だったのでしょうね >ベトナムには1993年に一度ホーチミンに香港から行った事がありますが、中国と違って清潔なのに驚いた記憶があります。市場に言っても床に何も落ちていない…。ベタベタの中国とは大違いでありました ( ̄▽ ̄)♪ ----- 中国の市場というものは行ったことがないのですが、そうですか 隣国なのに、国民性が違いますね~ (2009.06.18 21:37:50)
tak-shonaiさん
>まさに、ウェブに乗りにくい情報というのはあります。 > >戦争体験みたいなものは本当に貧弱ですし、全共闘世代の話も、充実してません。ということは、団塊の世代というのが、ウェブの世界の分水嶺なのかもしれません。 > >alex さんのこうした情報は、その意味で本当に貴重だと思います。国家的なアーカイブに所蔵してもいいぐらいだと思います。 > >(それには、ちょっと艶っぽい話題が多すぎるかもしれませんが ^^;) ----- それでは、艶っぽい個所を削除して・・・ と言うわけにも行きません 本なら、開高健氏の著作などがあるんですが、ブログではありませんね~ 世代的に無理なんでしょうか? (2009.06.18 21:40:11)
bonbonさん
>お久しぶり。 >私も実生活をこなすため不眠亭休業中いいことに一つ二つ仕事をこなせました。 >言葉のアルコールが抜けたのはちょっと寂しい感じもしましたが。(シャンペン爆撃は近じか考えていますので(笑)) > >このデブチャイというのは、バーの美女達がマスターだけに言っていたのか、それともすべての客に言っていたのか興味があります。 > >すべての男性に言っていたとしたら、それは中国本土 >バーでの『○○先生』『○○大人』に値すると思いますし、韓国の『社長』にも値すると思います。 >(この場合のデブチョイはぐーんと価値がさがりますが)(笑) ーーーー ヴィエトナムの女性達は直裁ですから、そ~ゆ~お世辞は言いません 私はいつもバーに入るなり、バーガール達に「デプチャイ!」と声を掛けられましたが、それは私だけにで有って (笑) 、他の男性がそ~ゆ~声を掛けられたのを目撃したことはありません 私はよほど、ヴィエトナム好みの容貌だったようです (笑) いっそのこと、残って、映画俳優にでもなっていれば良かったかも知れません しかし、北ヴィエトナムに統一されたときには、政治犯にされたか? 怖いことです (2009.06.18 21:45:00)
ヴェトナムの思い出、ありがとうございます。
ヴェトナム人女性はルックスにかなりうるさい らしいので、alexさんがぴったり、マッチしていたのかもしれませんね。肌の色が白いというのも条件らしいです。 思うのですが、ヴェトナム人女性の脚はまっすぐなのになぜ、日本人女性の脚はO脚で曲がっているのでしょうか?世界一の美脚といえると思います。 走ると足が太くなるので、女の子は走らないらしいです。日本で学校の周りを部活動で必死に走っている 子をみるとうなずけます。 alexさんがおられた40年前では日本人女性との比較はびっくりするほどだったのでは?と思います。 ところで、alexさんの宿舎は町の中心部だったのでしょうか? 中心の通りのグエンフエ通りとレロイ通りの交差する ところは昔と変わっていないのでしょうか? 大きな兵士の像が昔はあったと思いますが覚えてらっしゃいますか? 宿舎のまかないのオバサンの料理の話は想像すると 目に浮かぶようで笑ってしまいます。 もし、私がalexさんとその時代にサイゴンで会っていたら、毎夜の遊び友達になれていたと確信します。 (2009.06.19 21:51:05)
ARVNさん
>ヴェトナム人女性はルックスにかなりうるさい >らしいので、alexさんがぴったり、マッチしていたのかもしれませんね。肌の色が白いというのも条件らしいです。 >思うのですが、ヴェトナム人女性の脚はまっすぐなのになぜ、日本人女性の脚はO脚で曲がっているのでしょうか? ---- いえいえ O脚だなんて X脚もありますし あ これは言わない約束でした >世界一の美脚といえると思います。 >走ると足が太くなるので、女の子は走らないらしいです。日本で学校の周りを部活動で必死に走っている子をみるとうなずけます。 ーーー ほほう そこまでは考えつきませんでした 今後、女子の体育は禁止ですね (笑) >alexさんがおられた40年前では日本人女性との比較はびっくりするほどだったのでは?と思います。 ーーー たしかに、大根脚の多かった日本から向こうへ行くと、スタイルの良さにびっくりしました かならずしも美人でなくても、スタイルは必ずいい あ だんだんARVNさんのペースに乗って、日本の女性から憎まれるようなコメントになっているので、この辺でギアチェンジ (笑) (2009.06.20 01:10:27)
ーー続きーー
>ところで、alexさんの宿舎は町の中心部だったのでしょうか? ーーー いえ 中心部から車で15分ぐらいの所で、むしろ空港に近いところでした ただし、15分と言っても、結構渋滞しましたから、距離としてはそれほどありませんでした >中心の通りのグエンフエ通りとレロイ通りの交差するところは昔と変わっていないのでしょうか? >大きな兵士の像が昔はあったと思いますが覚えてらっしゃいますか? ーーー あ 覚えています 再訪したときには、あったかどうか >宿舎のまかないのオバサンの料理の話は想像すると目に浮かぶようで笑ってしまいます。 >もし、私がalexさんとその時代にサイゴンで会っていたら、毎夜の遊び友達になれていたと確信します。 ----- そうでしょうね 話が合いますから、何時までも話をしていたかも知れませんね (2009.06.20 01:11:10)
久しぶりに懐かしいサイゴンの風に当りました
私は40年前 日本テレビ特派員として サイゴンに 1年間滞在 5年前より再びサイゴンにて生活をしている者です email; ishikawa_wed@yahoo.co.jp です ホーチミンは空港の北側に住んでいますが 現在家を 売りに出していまして 売れたなら嫁の田舎のビンロンというカントーの手前の田舎ですが そこに住む予定です 来年になると思いますがネ ベトナムにはgooブログ仲間が80人ほどいまして 私も仲間に入れていただき ユートピア村で一緒に生活ませんか と言うタイトルで書かせてもらっています そのブログを見て当時レントゲン技師でチョウライ病院にお勤めの井上さんが遊びに来てくれました 当家には京大医学部での先生が現在ホームスティされてまして 井上さんも京都の病院にお勤めとかで 話が盛り上がりました それでは之で失礼致します 石川 允之 (2009.09.11 20:24:34)
石川 允之さん
>久しぶりに懐かしいサイゴンの風に当りました >私は40年前 日本テレビ特派員として サイゴンに >1年間滞在 5年前より再びサイゴンにて生活をしている者です > email; ishikawa_wed@yahoo.co.jp です >ホーチミンは空港の北側に住んでいますが 現在家を >売りに出していまして 売れたなら嫁の田舎のビンロンというカントーの手前の田舎ですが そこに住む予定です 来年になると思いますがネ >ベトナムにはgooブログ仲間が80人ほどいまして >私も仲間に入れていただき ユートピア村で一緒に生活ませんか と言うタイトルで書かせてもらっています そのブログを見て当時レントゲン技師でチョウライ病院にお勤めの井上さんが遊びに来てくれました >当家には京大医学部での先生が現在ホームスティされてまして 井上さんも京都の病院にお勤めとかで 話が盛り上がりました それでは之で失礼致します > 石川 允之 ----- 当時のサイゴンの経験者からの初めてのコメントをいただいて、感激しております 40年前と言えば、私と入れ替わりか、少しオーバーラップしているかも知れません いろいろお話ししたいこともありますが、とりあえずメールを差し上げようと思っております ただし、私、引っ越ししたばかりで、光ケーブルのネット会社も換え、pcがやっと立ち上がったばかりです メールソフトもまだ慣れないものを使う環境となりましたので、メールをお送りするタイミングも少し遅れると思いますがよろしくお願いします (2009.09.12 09:31:42) |
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