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カテゴリ:水滸伝
「国民投票法案の与党修正案のなかで船田元・理事は、公務員・教育者の「地位を利用」した改憲の賛否についての働きかけに関連して、削除することでいったんは与党内で合意していた罰則規定を再び盛り込む方針を示した。 船田氏は「地位利用」の具体例について「大学の授業で改憲に反対しなければ単位を与えないといった行為」と説明し、こうした場合には「罰則を設ける方向で公明党と調整する」と説明した。」
というニュースが23日16時19分に発信されていますが、なんという貧しい発想なのでしょうか。そんな馬鹿らしい対応をする教授は黙っていても淘汰されるでしょうに。(もっとも実際に出てくるのは「改憲に賛成しなければ」の教授でしょうが。)今の支配者層は「生徒に校則を作る」ことしか考えていないようです。 「水滸伝」(北方謙三 集英社文庫)は四巻目まで読み進みました。こちらの支配者側はよっぽどしたたかです。 梁山泊の隠れ棟梁の宋江は旅に出、「この国は腐っているが、しかしまだ強いな。大きな城郭には、私の触れ書きがある。そんなものを、短い時間に全国に回すだけの力が役所にはある。」等、全国の実情、民の姿を知っていく。 「各地に同士はおりますが」 「点をおさえているだけだ、という気がしてきた。この国は面であるのにだ。点を面に広げるには、まだ時が必要だろう。」 「そういうものですか。」 「武松、お前はどう思うのだ?」 「点は瞬時にして面に拡がっていく。そう思います。何かひとつ大きなことがあれば、点ははじけたようになり、面に拡がるのではないでしょうか。」 「それもひとつの考えだな。しかし、点がはじけることは、あまり期待できぬぞ。」 「民はやはり弱いものですか。」 「たぶんな。」 いまインターネット上で「不安倍増の馬鹿ヤロー」といっている人たちも、いわば「点」でしかないだろう。この物語の上ではこの「点」がこれ以降、どのようになっていくのか、あと15巻の物語を見守っていきたい。 一方支配者側を陰で操る青蓮寺ではこんな会話が交わされる。 「梁山泊とは何だ、洪清?」 「おき火のようなものでございましょう。人民という灰に埋もれた、おき火です。」 (略)人民をすべて灰にする。政事にとってはそれが最もいい方法だ。蔡京(表の政治家。宰相)を唯一と言っていいほど評価できるのは、人民を灰にしようと努めている事だった。灰は、灰なりに静かなたたずまいがある。それはけっして、不幸ということではない。 「しかしこの数年で、灰の中から枯れ草が出てきたな。」 「たとえ出てきても、まわりは全部、灰。そう思わせられるかどうかが、殿の勝負でございましょう。」 青蓮寺の首領、袁明にもそれなりの理想はあるらしいが、どうもその理想とする美しい国は「静かな灰のような世界」らしい。まるでどこかの国の首相のようである。袁明は理想のためには手段を選ばない。自分に忠実で優秀な部下、李富の恋心さえ利用しようとする。 梁山泊の間者であった馬圭を、どれほど使えるのか。そこに、大きな勝負がかかっているような気がする。梁山泊さえ潰してしまえば、勝負は見えてくる。枯れ草は枯れ草のままで火がつくことはなくなるのだ。 李富が、馬圭と男と女になった。それだけでは足りない。溶け合うように、思い合うこと。それではじめて馬圭は自分の意志で動くだろう。そしてこちらの力になる。 巧妙に張られた罠にはまり、馬圭はまんまと二重スパイになる。最初の大きな悲劇が近づいている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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