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カテゴリ:平和運動
わたしの7月2日の記事、品川さんの本あるいは経済的戦略 についてじゅんさんから熱意のこもったコメントを頂いている。詳しくはそちらを見ていだだくとして、私の返しのコメントも少し長くなりそうなので、新たに記事を起こすことにした。
7/6のこコメント >品川さんのほん! >今日、本、届きました。 >まだ、前文読んだだけなんです。 >それでも、胸詰まって泣いてしまいました。 >黙ってられない、 >こんな人がいるんだ。 >こんな“財界人”がいたんだ! >みんな、読んでみ! >絶対! >現状を愁うる人々の中では、常識となった軍産複合体の悪も、“財界人”の口からは、ついぞ聞いた事が無かった。 >いままで、財界人なんて、信用したことなかった。 >どうせ、奥田らの主張を擁護しつつ、理解ある素振りでもするんだろ、と思っていた。 >財界人といえば、オリックスの利益のために医療保険制度をぶっ壊そうとしている宮なんとか。と皆同じ、 >金の亡者と思っていた、無知をお詫びします。 >どうせ、こいつ等の口から聞くことは、ない、と思っていた言葉が、ポンポン飛び出す。 >何と言う、爽快感! > >誰憚ることなく、正論を、確信を持って畳み掛けてくる。 この最初のコメント、ついついほとんど全部紹介してしまいましたが、「戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言」(品川正治著 新日本出版社)の魅力がよくわかります。講演でも言っていましたが、産軍複合体をめざす大企業が今経済界で大きな声を出していますが、戦後営々と日本経済を作ってきたのは、それとは違うタイプ、ちがうDNAを持っている企業です。まだ声を出すことの出来ない企業人はたくさんいる、と品川さんは言います。もちろん、資本家と労働者の立場は違う。けれどもアメリカ型「グローバリズム」という名の「弱肉強食型」経済戦略に反対する大企業はたくさんいる、という確信を私も持ちました。 次いで7/9のコメントです。 (略) >実は、教基法が強行採決で成立してから、市民としてできる事、声を上げること、をやめていました。 >成立を挟んで、自分の事業に、睡眠不足等で支障をきたしました。 >なに、faxを自民党委員や民主党委員、首相官邸などにおくったり、デモや、ビラまきに参加するぐらい、あと壁新聞作ったりしたぐらいかな。 >それでも、イラク開戦以来、疲れた。 (略) >国会に働きかける、ということには限界を感じます。 >何言っても同じなのか、、失礼だ、こんなこと言うのは。 >いや、辺野古の実例があります。いっしょじゃない。 >でも私は、そんなところには参加できない。 >そういう戦いを身近に感じるためのなにかが、仕事場から一歩も離れないでいる私には、欠けているのでしょう。 「疲れた」とは書いていますが、読んだら分かるように、じゅんさんはすべて分かっています。 ----- >でも、品川さんのご本よんで、底力をいただきました。 >見方によってはチャンスである。 >もうすこし、頑張ってみよう。 自分で出来ることから、頑張ってみましょう。 どうも文章から私のほうが少し年寄りだという気がしてならないので、老婆心ながら、少しコメント。「あまり頑張り過ぎないように」ということと、「ほんの少し現実世界で、いろんな立場の人の話の交流が出来る機会」を探すというのもいいよ、ということをつたえておきたいなあ、と思う。 先日の日曜日、私は例の映画を語る会に参加しました。その時話題になったことです。その時のメンバーは30~40代が3人、50~60代が3人、この会はわりと世代のへだたたりがあるのです。このような会は現代探すのがなかなか難しいようです。今の若い人はどのように遊んでいるのかな、というと、たいていはたまたま知り合った同じ年代の人とメールで頻繁に連絡を取りながら、深い付き合いをしていくのだそうです。そうすると、世界が本当に狭くなる。いっぽう、例えばこの会、相当映画をよく見ている人は30代にもいますし、60代にもいます。けれども、感じ方が、違うのです。「あるスキャンダルの覚え書き」のような独りよがりの老婦人の話では、若い人の感想は、役になりきるジュディディンチだけが印象に残る、と言う声が聞こえます。けれどもある程度老境を迎えたご婦人たちには、それ以上の身につまされる話だったようで、この映画のことが一番の話題になりました。 もちろんまるきり価値観が違う人と話すことはしんどいことです。けれども、価値観の違いが楽しめる程度で、話を聞き、自ら話をする機会は、すぐにでは無いけど、かならず世界が広がるし、元気になるし、そして何らかの役に立つだろうと思います。 と、蛇足でした。 私個人としては、自分の記事をきっかけに、本を読んでもらって「底力」をもらったといわれるのが心底うれしい。 あと、なんと「水滸伝」をすでに九巻まで読んだという。やっと「水滸伝」仲間が出来、と言う感がします。だったらこの物語に私が何の想いを投影しているか、伝わっていることと思う。敵は支配層です。圧倒的に強い。けれども、梁山泊は五分の戦いをします。現実社会でも出来ないか、夢想しちゃっているんですね。だぶん何かが足りない。 なんだと思います? 先ずは「あれ」がない。実はこれは決定的だと思います。 「替天行道」と言う冊子です。どうでしょ。 ガスパーチョさんから拝借しました。傑作です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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