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カテゴリ:中江兆民
岩波文庫中江兆民評論集/中江兆民/松永昌三 中江兆民の「論外交」(明15「自由新聞」)を紹介したい。「三酔人経綸問答」の様に問答形式ではなく、社説なので、そのまま兆民の主張になっている。外交問題について、現代に対しても、一つの問題提起になっていると思う。 これは、発表の二週間前にソウルで起こった壬午の変に触発されての発言である。(福沢がこれに触発されて「脱亜論」を書いたのは有名)兆民は、「富国強兵策や文明優越意識を批判、道義外交論を展開する。」この論を一言で言うとそうなる。しかし、全体も大事だが、細部にこそ重要な部分があると私は思う。原文は漢文調子なので、完全に力不足だけど少し詳しい「意訳」をしてみたい。 「外交を論じる」 今も昔も為政者は富国強兵をいう。富国はいいけど、強兵は必要性がわからない。兵は「不仁の器」である。不仁の器を提げて不仁のことを行うこと。これが強兵の目的ではないか。不仁の器を蓄え、不仁の謀を巡らし、人を殺して野にみち流血千里の災いを行い、それを愛惜する所がない、これが果たして天の道だろうか。 しかし、人は君子ではなく、殺人も起こす。追い剥ぎもする。あるいは、陰謀を企てて謀反を起こし欲をだす人もいる。およそこういう人は不仁の人です。よって、政治家は必ず軍備を蓄えるのですな。かつ、国々はみんな各々の利益を求めて、その国民の福祉を伸ばそうとします。けれど、いったん利益が衝突すれば軍隊を動かして雌雄を決めざるを得ない。よって、国を与(あずか)る者は平時において必ず軍事訓練をして軍備を蓄え侵略者に備えるのは、もちろん必要です。 ところで、兵士を養うことは、経済の道にはなはだ反しますな。したがって、軍備を大きくすれば、税金は重くならざるを得ない。これは、為政者最も苦労する所です。しかしながら、前説の種々の原因により、国を与る者は軍備は必要である。 ここで気がつきます。富国強兵この二つは、お互い相い認める事の出来ない事を。このふたつをそれでも、しばらくお互い認めさせて一時の政策を行うこと、これが富国強兵の二つの言葉が出る所以である。しかし、道理でもって考えれば、富国はまことに為政者の目的とするべきものですが、強兵は、結局万やむ得ないときの一策に過ぎません。 人はあるいは、言います。国家財政が富むから軍備が大きくなるのだ、と。だから富国強兵は決してあい認める事の出来ないものでは無い、と。ああ、これは「純専の見方」と「比較の見方」を区別していない論理です。単純に比較すれば確かに富める国は多く兵を持ち、貧しい国は少ない。しかし比較をやめて道理で考えて見よう。もともと、国では軍備の為に犠牲になっているものがある。例えばフランスと日本、今の国力が日本の10倍とする。もしお互い軍備費用を他の事に使ったらどうなるだろう。国がさらに富むこと、今日の100倍になるだろう。だから強兵は窮余の一策なのです。 (‥‥‥ここまで)(114p) すみません! まだ全体13ページの3ページを訳した処で挫折しました。「三酔人経綸問答」を現代語訳した桑原武夫さんたち京大チームは本当に凄かった。兆民の古典に対する素養の甚大なこと、それらを無視しながら訳して、なんかもう臆するばかりです。 兆民が漢文調で書いたので、おそらく福沢諭吉ほどにはその主張が広まらなかったのかと思うのですが、しかし、古代政治に理想を見出し、「道義外交論」を論じる場合、必然の文体ではあったのでしょう。 下線を引いたのは、私です。現代にもう一回吟味すべきことだと思ったからです。防衛費は、毎年5兆円の額が使われています。明治の頃に比べれば、確かに「万やむ得ないときの一策」である、と国民は認識している、と仮にして置いてもいいが、それにしても、本当に「万やむ得ない」のだろうか。もう一度突き詰める必要があるのではないか、と思うのである。 「純専の見方」は、現代では沖縄で証明されつつある。沖縄経済は基地に依存している、と本気で思っている沖縄人は今ではほとんどいないのではないか。読谷基地の土地を返還後に上手く活用した自信が沖縄に広まっている。「戦争が無いほうが人類は栄える」この思想は、まだ世界全体のものになっていない。しかし、ものすごく大事な視点だと思う。 これだけ訳しただけでも、現代にとって新鮮な視点が幾つもある。「三酔人経綸問答」は既に古典であるが、これもそれに数えて良いのではないか。 特に、兆民が国のグランドデザインを「小国主義」に置いて居る事に注目したい。日本はその立地や資源から言っても本来「小国」なのでないか。そのことを日本国民は全員忘れてはいないか。小国のとる立場とは何か。没落しつつある某大国に金魚の糞の様に追随し、自らを「勝ち組」として振舞う事ではない。「信義を堅守して動かず、道義のある所は大国といえどもこれを畏れず、小国といえどもこれを侮らず。彼れもし不義の師を以て我に加ふるあるか挙国焦土となるも戦ふべくして降るべからず。隣国内訌あるも妄に兵を挙げてこれを伐たず。いわんやその小弱の国の如きは宜しく容れてこれを愛し、それをして徐々に進歩の途に向はしむべし。外交の道ただこれあるのみ。」(124p)大国との関係は、非同盟中立を旨とすべきことを別に明治21年に述べている。(「東雲新聞」での「外交論」) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年07月02日 23時48分35秒
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