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テーマ:本日の1冊(3693)
カテゴリ:平和運動
今の日本のいわゆる「現実主義」の政治家が、軍事力を持たなければ安全保障はできない、軍事力を持っていたほうが社会の安全を守られるといっているけれども、ではその根拠はどこにあるのか?証拠は?と聞きたいのです。頭の中の話ではなく、歴史の記録にある証拠はどこにあるか、ということを聞きたい。その証拠を見せて欲しい。日本の歴史で考えて見ましょう。日本政府はいつ一番軍事力を持っていたのか。軍事的にもっとも強かった時代は何年から何年までか、そして暴力によって殺された日本国民の数が一番多かったのはいつか。まったく同じ時代です。そういうことを考えるのが、現実主義ではないだろうか。今度は大丈夫だ、という根拠はどこにあるのか。その文脈で考えれば、日本国憲法第九条はロマン主義ではなく、ひじょうに現実主義的な提案だったと私は思います。(p53-p54)
ちょっと前に読んだ「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」(C.ダグラス・ラミス 平凡社ライブラリー)の一節です。単行本は2000年刊行ですが、今も、今こそこの一節を贈りたい若者が多くいる気がして、再掲しました。というのは、この前コメント欄でこういう意見があったからです。「名無し」と名乗る彼は集団的自衛権の閣議決定に対しては、いつもやって来る人とはちょっとトーンが変わって「グレー」だと言うのです。 (略)いつ日本に侵攻してくるかもしれない尖閣、竹島に侵略され基地が作られるかもしれない東京にミサイルが降ってくるかもしれないということです もしかしたらそれが明日かもしれないつまり日本の防衛に対しある程度仕方ないという考えもあります しかし日米同盟で米国に紛争地域に招集できるのもまた事実ですもしそこで自衛官が戦死しても「仕方ない事だ」と済まされたらたまったものではない事です(略) 彼は迷っている。集団的自衛権自体の是非、北や中国問題については、検討を始めると終わりがない。だけど、その前に態度を決めなくてはならないのは、ダグラス•ラミスさんのこの点だと思うのです。 軍事力を持たなければ安全保障はできない、軍事力を持っていたほうが社会の安全を守られるといっているけれども、ではその根拠はどこにあるのか? アベと日本国憲法とどちらが「現実主義」なのか。 ラミスさんは同書で「タイタニック現実主義」を批判している。 現実主義的な経済学者が「タイタニック」に、全速力と命令しようとしている。「スピードを落とすな」と。これがタイタニックの論理、「タイタニック現実主義」です。なぜそれが論理的で現実主義的に聞こえるのか。とても不思議なことです。(略)覇権をつかんだタイタニック現実主義にどんな力があろうとも、人間にはもう一つの、本来の常識が備わっている。そう信じたからこそ、そのような言い方をしたのです。誰もが、タイタニックの外にある現実を見て分かるだけの力を持っている。幻想の中に居ても、その身に危機が迫れば、本来の現実主義に戻る能力を持っていると思うのです。 私はアメリカは世界で孤立を始めていると思う。今や軍事同盟が機能しているのは、日本と韓国とイギリスとあと数ヶ国のみです。一方非同盟諸国がすごい勢いで広がっている。ふと気がつけば、日本国はアメリカと共に沈むか、それを避けるために世界大戦の引き金国になってしまうかもしれない。 「戦力不保持」「平和的生存権」を主張する日本国憲法の「ジャパンブランド」をかざして、世界に売って出る、最後のチャンスを迎えていると見るか、それともその反対の思考に陥るか。 どちらも可能性がある。どちらを選ぶかは、その人間の「思想(価値観)」にかかわっていると思う。 私は日本国憲法を選ぶ。若者よ、7月1日官邸前で「戦争反対。生きたい」という手書きのプラカードを持っていた高校生に続こうじゃないか。高校生は「常識」で、それを選んだのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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