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カテゴリ:旅の記録
松江城を観たあとは、お城らしいぐねぐねした登城口を出て、入り口の反対側に行きました。 「ぎりぎり井戸跡」といういかにも由緒ありげな杭が植えられていた。調べると、「言い伝えによれば、築城工事の際、井戸の南側に築いた石垣が突然崩れたので掘って調べたところ、人間の頭骨と槍がありました。そこで、祈祷して霊を鎮め、工事を再開して石垣はやっと完成しました。深く掘ったところが頭の頂部(つむじ、ぎりぎり)に似た井戸となったところから、この付近にあった井戸や門にこの名がついたと思われます」とのこと。ホントかどうか怪しい。何しろ築城当時、昔にここで戦闘があったはずはないのである。しかし築城当時、もののけは今よりももっと真剣に捉えられていたとは思う。 この先に護国神社の鳥居があるのだが、そこは写さない。 城山稲荷神社の鳥居。ここには参ってみよう。 小泉八雲ゆかりの地の一つらしい。彼は通勤途中散歩がてら、ここによく立ち寄ったらしい。当時二千以上を数える「石狐」に八雲は大変興味を抱くことになる。 中でも門前にあった耳のかけた大きい石狐は特にお気に入りだった。 彼はこの神社の火除けのお札をイギリスのオックスフォード大学のピット・リヴァース博物館に贈っている。木造建築しかない当時は、防火のお札は生活必需品だったのである。 西門から堀の外に出てぐるっと回ってホテルに帰ろうと思う。木造の橋は当時のままなのだろうか。 松江堀川巡りが観光用に何隻も回っていた。本来この地は湿地帯で、松江の町は様々な堀が縦横に巡っている。 県庁には、竹島資料室があった。博物館フェチとしては開館の9時に合わして勇んで行ったのであるが、お正月ということを忘れていました(涙)。韓国と比べれば、本気度少ないでっせ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年05月14日 13時52分00秒
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