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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「風の谷のナウシカ2」宮崎駿 アニメメージュコミックス 2巻目からは、アニメと似ているようで、或いは正反対の物語が描かれ始める。 「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」 これを言ったのは、風の谷の老女ではなくて土鬼(トルク)軍の辺境のマニ族の僧正であった。漫画版ではナウシカは「死んで生き返る」ことはない。僧正は云う「(その者は)そなたたちを、青き清浄の地へみちびく」だろう。それは(その者=ナウシカ)が世界を救うという預言でもある。預言者の役割として、僧正は伝えた途端に殺される。ただし、ユパには伝えられ、ユパにはその者はナウシカであると直感的に判る。伝説の勇者ユパには、この預言を確かめる役割が与えられるだろう。アニメはここで終わるが、漫画版はここから本格的に始まるのである。つまり、僧正の預言がそのまま正しいわけではないことが、読者にも微かに伝わってきている。 風の谷の(100歳以上と言われる)大ババは、伝えられてきた「歴史」を語る役割が与えられる。 「大海嘯」の伝説である。 世界は、「火の7日間」のあと、一挙に文明の技術を失ったわけではなかった。この1000年間で3回大海嘯(腐海が津波のように押し寄せること)が、あったという。最後は300年前だった。その頃は砂漠にオアシスのように文明技術が保たれた都市があった。しかしその国は覇権を争う内乱を呼び起こし、王蟲を狩る方法を編み出し、その甲皮を使って武具を作った。やがて、王蟲の暴走が始まり、都市は飲み込まれ、技術も永久になくなり、王蟲の死骸から広大な腐海が広がっていったそうな。 今回の三つ折りポスターは、流石に主人公格2人のアップ画が使われている。1人は当然ナウシカである。武具を脱いでくつろぐ姿だ。もう1人は当然と思う人も多いと思うが、クシャナ姫である。トルメキア王位継承3番目の皇女にして、勇猛果敢、部下の信頼厚く、トルメキア戦役で腐海南下政策を事前に神聖皇帝側に漏らされて謀略を画された女性。「もののけ姫」におけるエボシ御前の役割である。何故「もののけ姫」のアシタカの役割を(この時点でまでは)持つペジテのアスベルが、ポスターに選ばれなかったのか?大河ファンタジーに少年少女の恋を入れ込んだ方が、絶対読者受けはいいはずなのだが、やがてアスベルは物語からフェイドアウトしてしまう。それは編集者にもどうにもならない、宮崎駿の強い意志があったと見るべきだろう。一方、クシャナ姫には、最後の最後になって、とてつもなく大きな役割があったことが知らされるのである。そのことについて書くのは、ずっとのちのことになる。 マンガ「映像研には手を出すな」を見た人なら分かると思うが、アニメにとって、設定と動画は、同等の、時には設定の方が重い位置づけになる。宮崎駿は、アニメ畑で鍛えられた人物だから、設定に拘る、拘る。大ババが言った300年前のオアシス都市の造形は、アトムや他作家の未来都市とは一線を画していた(強いて言えば諸星大二郎)。表紙のナウシカの着ている服は、土鬼軍マニ族の皇族の晴れ着が王蟲の血で青く染まったものだ。胸の標は公家の家紋だろうか。鳥を意匠としていて素晴らしいと思う。この意匠も全くのオリジナルである。表紙裏には、おまけとしてナウシカの戦闘服装備の解説を載せていた。ストーリーに活かされた設定もあれば、活かされなかったのもある。しかし宮崎駿は描かざるを得なかったのだろう。業といえば業だが、この語らざる設定が、このファンタジーを傑作としているのも事実だと思う。 今回のトルメキア侵略戦争がどういう構造になっているのか、うっすらと見えてきた。世界を二分している、トルメキア連合国と土鬼軍神聖皇帝国の世界の覇権をかけた戦争であり、腐海を越えてトルメキアが神聖皇帝国に侵攻しているのだが、兄弟の裏切りに遭い三女のクシャナ姫軍は待ち伏せの罠に遭い壊滅的な打撃を受けたところである。一方、二国の思惑とは別に、王蟲が全体で動き出して、大海嘯を始めたのではないか、とナウシカは見ている。 この世界は、一千年前の文明のお裾分けで保っているのに過ぎない。それなのに、なおかつ未だ覇権を争い、王蟲の培養さえ始めている。読者の我々は「愚かだなあ」と思うかもしれない。しかし、文字も失われ、インターネットもないこの時代で、それを突き止める人物が果たして現れることができるのだろうか。 長くなった。また、次号でいろいろ考えたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年07月27日 16時18分58秒
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