|
カテゴリ:映画 アメリカの監督
フレデリック・ワイズマン 「ボクシング・ジム」元町映画館no27 ワイズマン特集 第3弾は「ボクシング・ジム」です。
人格を陶冶するとかいうと時に使われる「陶冶」という言葉がありますね。「陶」は「陶器」の陶ですね、「冶」は「冶金」の冶です。要するに、焼き物や鋳物を作る工程から生まれた言葉のでしょうが、この映画を観ていて、この言葉が浮かんできたというわけです。 テキサス州にあるボクシング・ジムが舞台です。男も女も、子供も老人も、肌の色もいろいろです。プロでの試合の話をしている人がいます。「癲癇」の持病を持つ少年の入門の相談をしている母親がいます。町で不良だった人の話があります。次の試合で引退すると話している人がいます。 ワイズマンのお得意技ですね。語る人のシーンを、決して途中で切らない。カメラはジーっと話し終わるまで待つのです。そして、それぞれの話を聞きながら、いつも唸らされるのです。 どの人も、汗にまみれて練習しています。選手もトレーナーも同じです。練習の合間や終わりにボソボソと話しをしています。その二つのシーンを繰り返し見ていて「陶冶」という言葉が浮かんできたわけです。 英訳すればtraining、education、cultivationです。これらの単語を、もう一度和訳し直すと、「練習」、「教育」、「栽培・修養」です。陶冶は個々の意味でも使用可能ですが、すべての意味を感じさせる言葉です。 ボクシング・ジムでは、コブシを使って人を殴る人間を育てています。しかし、練習は、予想以上に禁欲的で、同じ動作の繰り返しです。パンチング・ボール、サンド・バック、ウエート・トレーニング、フット・ワーク、どれも3分という時間単位で、ひたすら繰り返されます。 徹底した、繰り返しの中で、石ころやただの土くれだった人が、熱に溶かされて美しい陶器や金属の器のようになっていく様子が、そこにはありました。そこは、それぞれの人が、自分を「人間」に育て上げている場所なのです。 ここには、どこかの国のような「何とか道」的な形式主義を感じさせるものや、暴力的な上下関係を匂わせるものは皆無です。まさに、アメリカ的な合理主義にみちている場所なのですが、それが、とても爽やかなのです。 画面が暗くなって、エンドロールがまわり始めた向うの暗闇からリングの上でフット・ワークを繰り返している、男女のボクサーの 「キュッ、キュッ」 というシューズのこすれる音がかすかに聞こえてきます。これが、サイコーに感動的だったのですが、立ち始める人がいたりして、そこが、実に残念でした。映画は最後まで見てほしいものですね。 監督 フレデリック・ワイズマン 撮影 ジョン・デイヴィー 編集 フレデリック・ワイズマン キャスト リチャード・ロード 原題「Boxing Gym」 2010年 アメリカ 91分 2019・12・04元町映画館no27 フレデリック・ワイズマン特集「大学」・「パナマ運河地帯」・「ジャクソンハイツにようこそ」・「チチカット・フォーリーズ」・「ニューヨーク公共図書館」はそれぞれ題名をクリックして感想をどうぞお読みください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.22 21:57:22
コメント(0) | コメントを書く
[映画 アメリカの監督] カテゴリの最新記事
|