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多和田葉子「百年の散歩」(新潮文庫)
多和田葉子は1984年、大学を終えてすぐドイツに渡り、ハンブルグという町に20数年暮らしたそうです。そのあとやって来たのがベルリンであるらしいですね。この「百年の散歩」という作品は「わたし」がベルリンの街を散歩する小説です。エッセイの味わいもあるのですが、やはり、小説だと思います。十の通りや広場をめぐりますから、ある種、短編連作と言えないこともありません。 「Berlinはフランス人がつくった町だ、と昨日の夕方「楽しー」の運転手に言われた。そのことがきょうのわたしの聴覚世界に影響を与え続けていTaxiをわたしは「楽し―」と呼んでいて、これは日本語でもドイツ語でも英語でもみんな「タクシー」という苺、イチゴ、一語、に縮んでしまっているモノリンガリズムを崩すために自分で勝手に造った単語である。 やたらと繰り返されるダジャレ。次から次へと「連想ゲーム」なのか、「ことば遊び」なのか。慣れない読者にはかなり辛いかもしれません。ここにはタクシー運転手との会話を引用しましたが、なんということはない風景と、湧き上がる言葉遊びを「散歩」と称して綴っているのか?そんな疑いが浮かんでくるのですが、連想は言葉を数珠のようにつなぎながら、時間を遡って、いつのまにかBerlinの歴史を語りはじめたりしているわけです。 「百年の散歩」の「百年」が、きっとミソなわけでしょうね。 しょうてんがい、という言葉の響き、てんがい、天蓋、てんがいこどく。しょうてんがいこどく。商店街とは、人がパンを買ったり、トマトを買ったり、鉛筆を買ったり、靴下を買ったりできる区域のことだというならば、ここは商店街ではない。 カール・マルクスは、もはや、思い出の中の懐かしい「プレート」にすぎないのでしょうか。どうも、そうではないようですね。「ことば遊び」は、意識の深みへ降りていくウオーミングアップなのかもしれません。やがて、眼前の町の上にカール・マルクスが200年前に見た町が重ねられているのではないでしょうか。 「商品」はあるが「生産」者のいない商店。反政府運動の弾圧で亡命したウイグル人が羊肉の串焼きを売る街角。移民たちが故郷の路地をたたんでトランクに入れて持ってきた横道。それが、今目の前にある町の風景なのです。 「生産」はどこに行ってしまったのでしょう。人間は「疎外」から「自由」になったのでしょうか。 でも、まだまだ、読むには眠い「散歩」です。 たっぷり水分を含んだ葉が熱帯雨林に棲むカエルの背中のようにてらてら緑色に光り、観察者の喉を潤すが、花そのものは鼻糞のように小さいのもいる。のもいる。もいる。いる。る。植物は「いる」ではなく「ある」か。生きているのに。 最近、花屋が増えているような気がする。どんな言葉を口にしても相手にわるくとられてしまう袋小路に迷い込んだら、無言で大きな花束を差しだせばいい。そう考える人が増えている。 時間が経つと不思議な融合作用が起こる。丁度ベルリンの壁が崩れて二十年が過ぎたころから、町の西側にかつての東側の雰囲気が漂い始めてた。(「マルティン・ルター通り」) 歩きながら、何層にも重なっている「わたし」の記憶と、「Berlin」がそれぞれの「通り」の底に重ねている歴史が微妙に和音を奏で始めてきましたね。 これで、三つの通りを歩いたわけですが、ようやく、読み手は、次の通りではどんな音が聞こえてくるのか期待を感じ始めます。苦手な人は、とっくの昔に投げ出していらっしゃるに違いありません。 このあたり、ようやく「通り」と「わたし」の輪郭を、少しリアルにイメージしながら「多和田葉子」を楽しみはじめることができますね。眠気もどこかへ去って行きます。 さて、次はベルリン映画祭の、あの「金熊」を彫った彫刻家「レネー・シンテニス広場」です。 初めて多和田葉子をお読みになる方は、ここまでは頑張ってみてください。それでだめなら、仕方がないですね。 ぼくは「コルヴィッツ通り」の「子供たちと母」、「母の太い腕」あたりの描写にあらわれたイメージの奔流には、正直な多和田葉子の姿を見た気がしました。傑作とまではいいませんが、彼女の新境地かもしれませんね。 ボタン押してね! ボタン押してね! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.26 00:27:13
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