ゴジラ老人シマクマ君の日々
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シマクマ君
シマクマ君のゴジラブログへようこそ。今日は図書館、明日は映画館。あれこれ、踏み迷よった挙句、時々、女子大生と会ったりする。大した罪は犯さない、困った徘徊老人。「週刊読書案内」・「先生になりたい学生さんや若い先生にこんな本どう?」・「映画館でお昼寝」・「アッ、こんなところにこんな…わが街」とまあ、日々の暮らしのあれこれ、いたって平和に報告しています。
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河合宏樹「うたのはじまり」元町映画館 コロナ騒動で臨時休館に至った元町映画館です。2020年4月8日の写真です。あれから一か月たちました。 ぼくはあの日を最後に、垂水より東に移動していません。映画館がなくなると、ぼくには行くところがないということを痛感しています。 この日は二本立ての鑑賞でした。一本目に見たのがこの映画です。 監督河合宏樹が写真家斎藤陽道を撮ったドキュメンタリー「うたのはじまり」です。映画の始まりに、まずギョッとしました。 斉藤陽道との間にできた子供を配偶者の盛山奈美が出産するシーンです。40年ほど前に見た「極私的エロス・恋歌1974」という映画を思い出しました。 新生児が女性の体から出てくるシーンを「映画」として見るのは初めてではありませんが、やはり衝撃でした。母親と赤ん坊の映像は人間がただの動物であることを如実に語っていました。写真家である斉藤陽道がカメラでその様子を撮り続け、シャッターを切り続けます。ついでにいえば「映画」のためのもう一台のカメラが、それらすべてを撮り続けていて、看護師や助産師であろう、その場の人々の振る舞いがあるということに、えもいわれぬ違和感を感じました。 違和感について、少し書きたいと思いますが、最初に断っておきます。ぼくはこの映画を批判したり、貶化することが言いたいのではありません。 で、違和感です。母親と生まれてくる子供の姿をぼくは「自然」だと思いました。それに対して、カメラが構えられているというのはどういうことだろうということです。カメラは自然ではありません。 ドキュメンタリーが、予想不可能な現象を、その場でとらえることを一つの型として持っていることは理解しているつもりです。そして、だからこそ、そこに「物語」を作り出していきます。 この映画でいえば、赤ん坊の出生の無事、二人のあいだの子供の「聴覚」の有無という最小でも二つの要素は「カメラ」を構えて待ち受けることができるほどに予測可能だったのでしょうか。万が一という事態に対して、あらかじめ構えられていたカメラはどう考えていたのでしょうか。それがぼくの違和感の、大雑把な正体だったと思います。 そこからぼくは、何となくノリの悪い鑑賞者でした。ところが、この映画はもう一つの驚くべき出来事の現場を映しだしたのです。 完全な「聾」者である斉藤陽道が、少し成長した幼子を抱えて風呂に入れながら、子供が口にする「だいじょうーぶ」という言葉に合わせて歌い始めたのです。 もう、それは説明不能なシーンでした。その時ぼく自身の中に湧き上がってくるものを何といえばいいのか、一か月たった今でもわかりません。しかし、それが、ぼく人にとっても何か新しいこと、人間に対する新しい信頼のようなものの「はじまり」だったことは間違いないように思います。 カメラが映しとったのは、人間の本来の「自然性」に潜むコミュニケーション、他者とのつながりの喜びとしての「うた」の姿ではなかったでしょうか。 制作者に対する「違和感」は残りましたが、何とも恐るべき映画でした。40年前の出生シーンとは違った意味で記憶に残る映画であることは間違いないと思いました。 監督 河合宏樹 撮影 河合宏樹 編集 河合宏樹 整音 葛西敏彦 キャスト 齋藤陽道 盛山麻奈美 盛山樹 七尾旅人 飴屋法水 CANTUS ころすけ くるみ 齋藤美津子 北原倫子 藤本孟夫 2020年 86分 日本2020・04・08元町映画館no42 追記2022・02・11 「コーダ」というアメリカの映画を見ました。で、この映画のことを思い出しました。「コーダ」には耳の聴こえない父親が娘の喉首を触りながら「歌」を聴くシーンがあります。この映画には、お風呂場の湯船の中で、裸の父親が裸の赤ん坊を抱きながら体で直接「歌」を聴き、一緒に歌い出すシーンがありました。「からだ」が出した音を「からだ」で聴くということに人間の本来の自然性があるのではないかということを気づかせてくれたシーンでした。 面白いことに2年前に見たこの映画の、そのシーンだけは今でも浮かんできます。見ていたときのドキドキした、胸の高鳴りも重なって記憶されているようです。 映画を見ていると本当に美しいシーンに巡り合うことがありますが、意識は忘れていても「からだ」が覚えているということがある「シーン」には、そうそう出会えるものではありません。そういう意味で、この作品の凄さを、遅ればせながら(笑)実感しています。 「コーダ」にも、最近見たほかの作品にも、そういう予感を感じさせるシーがあったのですが、その時はうまく説明できないのが、なんとも、もどかしいことです(笑)。
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