1465709 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ゴジラ老人シマクマ君の日々

ゴジラ老人シマクマ君の日々

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

プロフィール

シマクマ君

シマクマ君

カレンダー

バックナンバー

カテゴリ

カテゴリ未分類

(1)

読書案内「日本語・教育」

(24)

週刊マンガ便「コミック」

(86)

演劇「ナショナルシアターライブ」でお昼寝

(33)

徘徊日記「日帰りでお出かけ」

(58)

演劇「劇場」でお昼寝

(2)

映画「元町映画館」でお昼寝

(105)

映画「ちょっと遠くの映画館」でお昼寝

(15)

映画「シネリーブル神戸」でお昼寝

(110)

読書案内「映画館で出会った本」

(16)

読書案内「翻訳小説・詩・他」

(46)

読書案内「漱石・鴎外・露伴・龍之介・百閒・その他」

(19)

徘徊日記「垂水・舞子・明石」あたり

(48)

読書案内 「医者や科学者の仕事、まあ科学一般」

(23)

読書案内「現代の作家」

(101)

徘徊日記「お泊りでお出かけ」

(63)

徘徊日記「神戸・元町・三宮」あたり

(83)

読書案内「絵本・児童文学」=チビラ君たちへ

(45)

読書案内「社会・歴史・哲学・思想」

(66)

読書案内 「芸術:音楽・美術・写真・装幀 他」

(30)

読書案内「近・現代詩歌」

(46)

徘徊「港めぐり」

(4)

バカ猫 百態

(21)

読書案内「橋本治・加藤典洋・内田樹・高橋源一郎・他」

(17)

読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」

(20)

読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」

(15)

映画「OSミント・ハーバーランド」でお昼寝

(3)

映画「こたつシネマ」でお昼寝

(16)

映画「パルシネマ」でお昼寝

(47)

読書案内「昭和の文学」

(20)

読書案内「BookCoverChallenge」2020・05

(26)

読書案内「くいしんぼう」

(9)

映画「Cinema Kobe」でお昼寝

(6)

週刊マンガ便「ちばてつや・ちばあきお」

(8)

週刊マンガ便「石塚真一・浦沢直樹・ハロルド作石」

(29)

週刊マンガ便「原泰久・鈴ノ木ユウ・野田サトル」

(31)

ベランダだより

(130)

徘徊日記 団地界隈

(108)

徘徊日記 兵庫区・長田区あたり

(24)

徘徊日記 須磨区あたり

(26)

徘徊日記 西区・北区あたり

(8)

徘徊日記 灘区・東灘区あたり

(37)

徘徊日記 美術館・博物館・Etc

(4)

週刊マンガ便「吉田秋生・高野文子・やまだ紫」

(7)

徘徊日記 芦屋・西宮あたり

(7)

読書案内「大江健三郎・井上ひさし・開高健 他」

(12)

読書案内「古井由吉・後藤明生・他 内向の世代あたり」

(3)

読書案内「谷川俊太郎・茨木のり子・大岡信 あたり」

(18)

読書案内「啄木・白秋・晶子 あたり」

(4)

読書案内「丸谷才一・和田誠・池澤夏樹」

(9)

読書案内「吉本隆明・鮎川信夫・黒田三郎・荒地あたり」

(11)

週刊マンガ便 「松本大洋」・「山川直人」

(13)

読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて

(5)

読書案内「村上春樹・川上未映子」

(10)

映画 パレスチナ・中東の監督

(5)

読書案内「近代詩 賢治・中也・光太郎 あたり」

(7)

映画 韓国の監督 イ・チャンドン ホン・サンス 他

(21)

映画「香港」「中国」「台湾」の監督

(27)

映画 アニメーション

(13)

映画 日本の監督 ア行・カ行・サ行 是枝・黒沢

(44)

映画 日本の監督 タ行・ナ行・ハ行 鄭

(23)

映画 日本の監督 マ行・ヤ行・ラ行・ワ行

(11)

映画 イギリス・アイルランド・アイスランドの監督

(31)

映画 イタリアの監督

(18)

映画 ドイツ・ポーランド他の監督

(13)

映画 ソビエト・ロシアの監督

(5)

映画 アメリカの監督

(74)

震災をめぐって 東北・神戸・原発

(5)

読書案内「旅行・冒険」

(3)

読書案内「本・読書・書評・図書館・古本屋」

(10)

映画 オーストラリア・ニュージーランドの監督

(4)

映画 フランスの監督

(40)

映画 スペイン・ポルトガルの監督

(10)

映画 カナダの監督

(3)

映画 グルジア(ジョージア)の監督

(9)

映画 ウクライナ・リトアニアの監督

(6)

映画 イスラエルの監督

(2)

映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督

(2)

映画 オランダ・デンマーク・ベルギーの監督

(7)

映画 フィンランド・スウェーデン・ノルウェイの監督

(5)

映画 トルコ・イランの映画監督

(7)

映画 ギリシアの監督

(2)

映画 アルゼンチン・ブラジルの監督

(2)

映画 ハンガリーの監督

(4)

映画 セネガルの監督

(1)

映画 スイス・オーストリアの監督

(3)

読書案内 戯曲 シナリオ 劇作家

(1)

読書案内 ジブリの本とマンガ

(5)

日記/記事の投稿

コメント新着

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2021.02.23
XML
​​週刊 読書案内 古井由吉「雛の春(「われもまた天に」所収)」(新潮社)
​​​ 2月18日で、作家の古井由吉が亡くなって1年が経ちました。ぼくにとっては中年にささしかかったあたりから、発表される作品に引き付けられ続けた作家でした。
 ちょうど「槿(あさがお)」から​「仮往生伝試文」​を経て、微妙に「文体」が変化し始めていく過程にめぐり合わせたこともあり、「小説とは何か」をいう、解ける当てのない疑問に対する「こたえ」として差し出され作品のような気分で、読み続けてきました。​​​

​ 小説において、今この時を生きている、ただの、例えば、老人である「私」に対して、作品中に描かれる「私」小説を書く「私」と、三相の「私」が出現することは容易にわかってもらえると思うのですが、古井由吉の、特に、晩年の作品では、その三相に、作品中の「私」に現れる、何相もの「記憶」「夢」が重なり合うことで、書いている「私」がいる場所がきしみ、やがて、作品が、いま生きている「私」にフィードバックしてゆく。そんな感じの中で、読み手であるぼく自身の意識も少しずつゆがみ始めながら、作中の時間と場所に引き込まれていくのです。​
​​ 古井由吉の晩年の作品を読む体験は、作中に描かれている「記憶」とか「夢」とかの記述を読みながら、その記憶をたどっている登場人物の「意識」へと溯っていくという、当たり前のルートをたどるのですが、最後には書き手によって書かれている、生きている古井由吉はどこにいるのだろうという不思議な疑問にとらわれることになるのです。​​
​ 彼がなくなった2020年の秋に出版された「われもまた天に」(新潮社)に収められている​「雛の春」​という作品の一節に、こんな「記憶」の連鎖が描かれている場面があります。​
​​ 天袋の中で顔を覆われたまま煙に、やがて炎に巻かれていく雛の笑みが、青年の頃から何かのはずみに、見たはずもないのに仔細なように浮かんだところでは、あの空襲の未明に、防空壕から飛び出して、家の内は軒から白煙を吐きながらまだ静まっていたが、二階の屋根の瓦のあちこちに鬼火のような炎のゆらめくのを見あげて、火急の時にはあらぬことを思うもので、二階の天袋の中で炎上寸前の雛たちの顔へ瞬時心が行って、後の記憶の底に遺ったものか。
 節句の前後に悪いことのあった年の重なったばかりにやがて雛を飾らなくなったのにも、炎に包まれる雛の影が落ちていたせいもあるのだろう。雛段を枕に病人のふせるのを見て、これは吉くないことだと思った覚えがある。ところが、雛を飾らなくなったその頃から、能面のようなものに惹かれるようになったものだ。古い能面の展示されている所へ、わざわざ雨の日に、足を運ぶこともあった。人のいない展示場でひとつの面を眺めている。熱心なようで、逃げ腰でもあった。とりわけ臈丈けた女人の面の、苦悶の際を想わせてかすかにひらいた口もとから、見覚えのあるような笑みがひろがりかかるのを、待つようでもあり、避けようとするようでもあり、結局は見えそうで見えないことにほっとして立ち去ることになる。ある日、表へ出ると雨はいつかやんで白く霞む空に細い月が掛かっているのを眺めて、あんなことはもうやめよう、吉くない癖だ、自分は所詮、恍惚の器ではない、とつぶやいた。
 暗い夜道を一人来て、向かいからやはり一人で来る見も知らぬ女に出会うほど、おそろしいこともない、と老人がふっと洩らしたのを若い頃に耳にした。(後略)​​
​ ​長くなるのでこの辺りで切りますが、この作品はここまで、2019年の二月の初旬から三月の初旬にかけての、作品の語り手、一人称の主語はありませんが、おそらく古井自身の入院や、病院での生活が書き綴られています。​
​​​ 引用したパラグラフは、三月の初旬、入院していた病院の一角に「雛段」が飾られていることを語り始めたところから、「語り手」の記憶が「雛」の思い出へと書き進められて、たどり着いた一節です。​​​
​​ この三つのパラグラフは「戦争末期の空襲で焼けた雛の顔」「女人の能面」「見知らぬ女との夜道でのすれ違い」と、あたかも「歌仙」の付け筋を追うように楽しんで読み進めればいいようなものなのですが、読んでいると、どうしても、展開を追いながら、病院のベッドで語っている「語り手」、退院してそれを書いている「作家」「記憶」「夢」を語り手である主人公と共有している「古井由吉」という三人を思い浮かべて呆然とするわけです。​​
 しかし、この体験は、ひょっとすると至高の体験かもしれませんね。言葉で書き記された「世界」に入り込むという体験にはいろいろあるのかもしれませんが、「意識の塊」のような、ありえない「存在」を思い浮かべ、その後を追うように、語られる「ことば」を追うのですから。
​​​​ 本作でいえば、引用の後、語り手の記憶が「雪の夜道で女人とすれ違う」話へ進むのですが、それから、どんな方向へ進んでいくのか興味を持たれた方は本作を読んでいただくほかありませんね。
 本書には、他に「われもまた天に」「雨上がりの出立」の二作と、絶筆となった「遺稿」が収められています。感想はまた書きたいと思いますが、いつになることやらという気分です。​​​
追記2022・03・25
 いつの間にか春になってきました。今年の2月18日も、いつの間にか過ぎてしまっていますが読み返そうと思っていたはずの古井由吉を手にとり直すことはありませんでした。そういう日々を送っているということなのです。仕事があるわけでもないヒマな日常なのですから、できれば、今年こそ、一度立ち止まり、一つづつ読み直したいと思っています。日差しが明るくなって、意味もなくホッとしている3月も、もう終わりの朝です。


​​​PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ


にほんブログ村 本ブログへ






ゴジラブログ - にほんブログ村​​






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.05.08 10:36:54
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内「古井由吉・後藤明生・他 内向の世代あたり」] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.