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高橋源一郎「『ことば』に殺される前に」(河出新書)
今日の案内は、高橋源一郎「『ことば』に殺される前に」(河出新書)です。2021年5月30日に出版されたようですから高橋源一郎の最新刊でしょうね。 チッチキ夫人が通勤読書で読んでいたようで、コンサートかなにかのチラシでカヴァーされた本が食卓の「積読」書の小山の上に乗っていました。カヴァーをとってみると、幅広の腰巻に作家の写真と、キャッチコピーが印刷されています。本冊は純白です。 で、コピーの文句を見て気になりました。いやはや、簡単に釣られる客ですねえ。 「《否定の『ことば』》ってなんやろう。」 腰巻の裏表紙側を見ると、こんなことが書かれていました。 かつて、ツイッターは、中世のアジール(聖域)のように、特別な場所、自由な場所であるように思えた。共同体の規則から離れて、人びとが自由に呼吸できる空間だと思えた。だが、いつの間にか、そこには現実の社会がそのまま持ち込まれて、とりわけ、現実の社会が抱えている否定的な成分がたっぷりと注ぎこまれる場所になっていた。「ハアー、またもやツイッターか。」 ツイッターで詩を書いている詩人もいらっしゃいますが、高橋源一郎はすでに、ツイッター形式で「今夜は独りぼっちかい・日本文学盛衰史・戦後文学編」という小説を書いています。ツイッターの形式でページが埋まることに最初は戸惑いましたが、今では、左程こだわりません。それより「否定のことば」といういい方が気になりました。 ページを繰るとすぐにありました。 高橋源一郎は、開巻早々、最近はやっているらしいカミュの「ペスト」という小説からこんな引用を載せています。面白いので、全文孫引き引用しますね。 読み返すのは、ほぼ半世紀ぶりだった。最初に読んだ頃には、「ペスト」とは、この小説が書かれる直前に終わった「第二次世界大戦」、「戦争」の比喩である、そう読むのが普通だった。 カミュは、国籍を問われたとき、こう答えた。 これらは、「ことばに殺される前に」と題されて、本書の冒頭に収められた文章の引用ですが、本書を読み終えたとき、引用したこれらの発言が、ムルソー=カミュ=高橋源一郎と自らを規定し、「日本語」を祖国とすること、「日本語」が作り出した「文学」という空間に生きることを宣言した文章だと気づきました。 本書をお読みになれば、すぐにお分かりいただけると思いますが、高橋源一郎は「正義」を振りかざしして「人を殺し」始めている国家やイデオロギーの攻撃に対して、または日常的で小さな、一つ一つの事象に広がっている戦線において、実に丁寧に、戦いを挑んでいます。この戦いに「勝利の日」が来るのかどうか、それは、いささか心もとないわけですが、しかし、誠実であることによってしかなしえない「闘争」に終わりはありません。 闘争現場については。本書をお読みいただくほかありませんが、いかんせん、闘争記録が、ほぼ十年前のものであることだけが、少々惜しまれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.31 17:17:10
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