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郡司芽久「キリン解剖記」(ナツメ社)
解剖はいつも突然に マア、こういう調子で始まります。久しぶりに帰宅した、ゆかいな仲間の一人、ピ-チ姫が「これ、おもろいで!」と置いて帰った本です。 表紙を見ると、郡司芽久「キリン解剖記」とあります。何となく読み始めて、止まらなくなりました。シマクマ君は60年以上生きてきたわけですが、キリンの解剖をする機会はもちろん、キリンそのものにもここ数年で会った記憶がありません。にもかかわらず、「じゃあ、さようなら」といってページをパタン!とさせない吸引力が、この書き出しにはありました。 「キリンの解剖」なんていう、普通に暮らしている人間には「まったく」といっていいほど、縁のない世界に、「はい!はい!よってきて!はいってみて!」という掛語を張り上げる元気!が、この書き出しにはあるのですね、きっと。 読みすすめれば、わかりますが、文章は、東大出の博士とは思えない平たさで、まあ、素朴です。キリンが好きでたまらない学生さんが、いきなり解剖刀を握り、キリンの長い首の皮をはいでいくところから始まります。 動物園で死んでしまったキリンが、どんなふうに扱われ、どこに運ばれるのか。で、結局、どうなるのか、ご存知の方はいらっしゃるのでしょうか。まず、そういうことがわかります。 シマクマ君には、特別に「キリンがすき!」という思い入れがあるわけではありませんが、どんどん読めました。郡司さんが2008年、初めて出会った「夏子」の遺体にはじまって、2015年、たった一人で「八番目の首の骨」を確認するために、1週間かけて向き合った「キリゴロウ」との出会いまで、一気読みでしたが、その150ページほどの間に、何も知らない学部の学生さんだった郡司さんは、13頭のキリンに解剖刀を構えて立ち向かい、博士論文をお書きになる学者に成長なさっていましたが、そんなことは全く悟らせないところが、この「キリン解剖記」のよさでした。 ちなみに、彼女が最初に出会った「夏子」は、神戸の王子動物園でシマクマ君も出会ったことのあるはずのマサイキリンで、「キリゴロウ」は富山のファミリーパークにいた、たぶんアミメキリンです。それぞれの名前をクリックしていただくと生前の本人に出会えますよ(笑) で、無事博士号を取得した郡司さんが、本書の最後に記した言葉がこうでした。 無目的、無制限、無計画。 座右の銘にしたい名言ですね。 その次のページには参考文献がずらっと並んでいましたが、ほとんどが横文字で、シマクマ君には全く歯が立たない一覧でした(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.26 00:54:29
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