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横尾忠則「タマ、帰っておいで」(講談社)
市民図書館の新刊の棚で見つけたのですが、2020年3月30日発行ですから、新刊ではありません。 横尾忠則「タマ、帰っておいで」(講談社)、副題が「REQUIEM for TAMA」とあります。愛猫「タマ」の追悼画集です。 2014年5月31日 中表紙を開いた2ページ目にはタマの最後の日の日記が記されていて、その隣には「TAMA2005.11.8/14.7.1」とサインの入った「タマを抱いた自画像」がこんなふうに装丁されています。 次のページを開くと「タマへの弔辞」が述べられています。 玄関にタマの絵を飾って祭壇をこしらえたので、 実は、長い弔辞なのですが、その一節です。猫が絵の中に入っていく「ルーヴルの猫」というマンガを最近読みましたが、絵の中から帰ってくる猫がいても、案外、不思議ではないかもしれません。 次のページから日記とタマの絵が、先程のページのように見開きにセットで装丁されています。日記は2004・7月・6日から始まっていて、2018年・6月・1日まで、断続的ですが、続いています。 タマが亡くなった後も、絵は描き続けられていて、その絵が、この画集の、まあ、当たり前ですが肝です。2020年の絵まで、90点ほど載せられています。あらゆる姿態のタマの姿が描かれています。表紙の絵もその一つで、亡くなった直後に描かれた作品です。すべてタマの絵なのですが、見入ってると、横尾忠則自身を描いているのではないかと思わせる絵です。 これが裏表紙です。海岸に座っているタマの絵です。台所のテーブルで本をいじっているとチッチキ夫人が声をかけてきました。 「それ、いいの?」チッチキ夫人の母親は、なんと、横尾忠則と中学、高校の同級生なのですが、普段から、話題にしても、あんまり、この画家のことをいいようにいいません。普通の女の子からすれば、変な男の子だったようです。 同級生の画家と同様に、当たり前ですが、80歳を超えて、でも、彼と違って一人暮らしをしている「元普通の女の子」のところに、「そうはいっても」という気持ちで、同級生の画集を届けたようですが、芳しい反応はなかったようです。 ミーミというのは、今はもういませんが、彼女が長く飼っていた猫の名前です。 2016年4月10日 タマがいなくなって2年後の日記です。見開きの絵も記憶によって描かれた絵です。 この画集には、亡くなった後に描かれたタマの姿がたくさん出てきます。ことばが、記憶の中から紡ぎ出されてくることで、時間を越えたリアルを描くことには違和感はないのですが、映像もまた記憶の中から、筆先を通してキャンバスに移されているということを実感させる絵です。画家は安物のカメラのように目の前の被写体にピントを合わせて描いているのではないようです。 横尾忠則の、並々ならぬ愛猫家ぶりがさく裂していることはもちろんですが、「絵とは何か」をスリリングに考えさせて、いや、感じさせてくれる画集でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.05.17 01:18:20
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