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カテゴリ:平和運動
2004年、数年前の有事法制反対運動のほとぼりが冷めた頃、ひっそりと一匹の怪物が生まれた。国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)という。
この怪物はその次の年に全国の都道府県に子供を生んだ。最初数十ページに過ぎなかった法律文書はこの時点で2000~3000ページに膨らんだ。そして今年、全国無数の市町村、一部指定業者で、さらに細かい法律を生んでいる。今年ページ数で言えば、おそらく数十万ページに膨らんでいることだろう。そうやって平成の国民総動員法は国民の知らないところで不気味に増えて、出番を待ち始めている。皆さんはご存知でしたか。 戦前はすでに始まっている。役所の中の文書の中で。 ところで、各市町村のHPを注意深く見てみたり、検索機能で『国民保護』で調べてみると、ちょうど今、作りかけの『国民保護計画』に対するパブリックコメントを募集しているところが多いと思う。私の住んでいる倉敷市では11月15日が期限であった。時間がなくてぱらぱら読みしか出来なかったのであるが、(なにしろPDFで66pもある)簡単に意見書を書いた。内容よりも反対の数が大事だろう、と考えたからである。 倉敷市の国民保護計画(案)はここ。 私の意見は以下の通りである。 いろいろと忙しいと思うが、出来ることなら自分の住んでいるところの国民保護計画を覗いてみて欲しい。 倉敷市国民保護計画(案)に対する意見 倉敷の国民保護法制案をざっと読ませてもらいました。全体的にいえるのは、痒いところに手が届くように細かいところまで決めているのですが、それでもこれが役に立つことがあるのかな、ということです。 危機管理を言う前に、危機管理を呼び寄せないような状況を作るのが政治の仕事だと思います。平和生存権は憲法でうたわれている国民の基本的な権利でもあります。しかしながら、このような法律を作ることは平時から戦時を意識しながらすごせといっていることと同じであり、憲法違反の疑いもあります。聞けば、市町村で細かい法律を作る義務は無いとの事です。何らかの危機が迫っているのならまだしも、具体的な危機が迫っていない今、今拙速に作るのは中止したほうが良いと思います。 各論で言うと、「「核攻撃等の場合」市は,核攻撃等による災害が発生した場合,国の対策本部による汚染範囲の特定を補助するため,汚染の範囲特定に資する被災情報を県に直ちに報告する。また,措置に当たる要員に防護服を着用させるとともに,被ばく線量の管理を行いつつ,活動を実施させる。」これは限定された状況に対する(例えば戦術核が兵庫県に落ちた場合)措置のことであって、状況によっては防護服さえ間に合わないようなことがあると思う。マニュアルを作ることに無意味さを感じる。その他生物兵器に対するテロとか、あるゆる『有事』は「想定外」のことが起きるのであり、このような法律を作ることに無意味さを感じる。 一方で、平時から戦時に対する啓蒙活動は「予算」を伴ってされるのであり、体裁のいい国民への思想動員の一環に利用される恐れがある。「市は,国及び県と連携しつつ,住民に対し,広報紙,パンフレット,テレビ,インターネット等の様々な媒体を活用して,国民保護措置の重要性について継続的に啓発を行うとともに,住民向けの研修会,講演会等を実施する。また,高齢者,障害者,外国人等に対しては,点字や外国語を使用した広報媒体を使用するなど実態に応じた方法により啓発を行う。その際,防災の取組みを含め,功労のあった者の表彰などにより,国民保護に関する住民への浸透を図る。」これによって一年間どのくらいの予算を使うのか分からないが、憲法改正への下慣らし、などに使われるとしたら、憲法99条の「公務員の憲法遵守義務」にも反していることになる。とくに学校における教育において「市教育委員会は,県教育委員会の協力を得て,児童生徒等の安全の確保及び災害対応能力育成のため,市立学校において,安全教育や自他の生命を尊重する精神,ボランティア精神の養成等のための教育を行う。」と定めることは、非常に危険だと思う。 ‥‥‥詳細に読めば、もっともっと問題はあると思う。まずは国民がこの怪物に気がつくことが必要だろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月15日 00時43分04秒
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