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カテゴリ:読書(09~フィクション)
「義民が駆ける」藤沢周平 中公文庫 数少ない未読の作品である。時は天保の改革の前期、水野忠邦は幕閣の地位固めの時期に入っていた。その時期に起こる極めて政治的な事情による転封の幕命に荘内藩は激震する。 先ずは幕府内の力関係から描き、いわれ無き幕命に政治工作を工夫する地方の政治首長とエリート武士たちの苦悩を描き、そのあとにやっと農民たちの動きを描く。 幕府も、藩も、そして農民も、自分たちの利益のみを考えて動いているというのはそれぞれ同じではあるが、質的にも量的にも最も被害をこうむるのは農民である。しかし、水野忠邦はもとより、荘内藩主酒井忠器もそんなことは思いつきもしない。 確かに幕閣も藩閣も賢いし、先を先を読んで必要な手立てを打つ。しかし、農民たちもそれに劣らず賢いのであった。もとより、動いたのは学問のある肝いりや庄屋筋ではある。彼らは、すぐさま、「国替えとなれば旧藩は一合でも余分に米殻を取り立てようとするだろうし、新領主は過酷な取立てで有名な川越藩である。必ず死者が出る」と予想する。「目の前にいる農民のほとんどが一挙に貧困に陥る、」と予想する。彼らはすぐに決断する。旗をさす。それはほとんど一揆と同じことだ。先ずは命を掛けなくてはならない。しかしやる、と決心する。そうして組織する。そして、表面上は「百姓といえども二君に仕えず」という有名な幟を掲げ、善政藩主を守り抜く、という建前の嘆願書を書いて、その一方でうまくいかなかったときは一揆も辞せずという刀を隠し持って「御公儀」江戸に大挙して赴くのである。 農民としては非常に巧妙な手はずであった。その組織性は藩のエリートには当面として利益にかなったが、一方では震撼させるに充分な力があっただろう。 藤沢周平の作品では、歴史小説の部類に入る。半分は歴史資料を駆使し、当時の手紙類をそのままわれわれに提示する。候文がそのまま出てくるので分かりにくい部分もあるが、事実が分かっている部分はみな歴史的事実なのだろうと想像できる。ほとんど無名な人物もまず実在の名前として出てくる。最終的に浮き上がるのは、農民のしたたかさであり、もうひとつ浮き上がるのは、しかしそれでも、国替えを阻止したのは、政治的思惑のいくつかが僥倖に恵まれたからただということも分かる。けれども、政府の内紛に翻弄されるのはいつも民衆だ、ということもわかる。そのとき、民衆にできる最低のけれども最高の抵抗運動がここにある。 江戸時代に革命思想は無かった。けれども、民衆は自ら必要だと思ったときには非常に組織的になる。これはすばらしく(沖縄問題含めて)現代に通じる歴史の教訓なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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