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カテゴリ:読書(09~ノンフィクション)
![]() 『司馬遼太郎の歴史観』中塚明 高文研 ずいぶんと前になるけれども、この先生の講演を聞きに行った。去年は韓国併合100年。ほとんど注目はされてはいないが、岡山でも何度もこのテーマで勉強会は開かれていた。中塚明氏は日朝関係の歴史の専門家であり、ひっぱりだこだったようだ。そのときに買った本である。 本の内容は、講演の内容と大きく被る。この講演でも大きな話題はやっぱりNHK『坂の上の雲』である。現在第一部第二部が終わり、日露戦争に突入している。このNHKの大掛かりな国民洗脳運動については、また稿を改めて書く必要があるが、今回はその中で、テレビの中でも全く『無視』された東学党農民軍の蜂起について書こうと思う。 朝鮮の人民が初めて社会変革のプログラムを持っての大衆運動であった、と著者は言います。特に重要なのが、第二次蜂起です。そもそも日清戦争は、東学党の『乱』から朝鮮王宮を守るためという口実で軍隊を進めたのですが、日本軍が最初に大砲を撃ったのは清国軍に対してではなく、朝鮮王宮に撃ったのでした。そうして王宮を占領し、言いなりの政府を作ることが最初の仕事だった。日本では知られていなくても、韓国全土には知られていた。だから、韓国の主権を守るために第二次蜂起があるのである。第一次とは広がりも規模も比べ物にならない、日本侵略反対の旗印をハッキリさせて立ち上がった抗日闘争だった。それに対して、日本軍はどうしたか。珍島に追い詰めて全滅させたのである。犠牲者は三万人を越えたといわれる。日本のどの教科書にもこれは出ていないらしい。 この本をいまさら読んで、しまった、と思った。去年の旅の後半、私は光州に行ったのだけど、何故ここにそんなにこだわったのか忘れてしまって、半日いただけで別の場所に移ったのでした。この講演を聞いたときに、1980年金大中が再起した黄土峠(ファントジ)の10万人大集会というものがあったそうなのですが、それが、それが東学党と政府軍との激戦地だったたらしいのです。それを見に行こう、東学党の「乱」をもっと勉強しようと、決意していたはずなのにすっかり忘れていました。これは宿題です。 何を持って「乱」とするのか、「運動」とするのか、はたまた「騒動」とするのか(大塩平八郎の乱は当初大塩騒動と呼ばれた)、それは革命理論の中心課題なのだろう。現在エジプトでおきていることは「乱」なのか、「運動」なのか。運動だとすれば、それはなぜ運動と呼ばれるのか。その辺りは、これからまた勉強していきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年02月10日 10時08分40秒
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