|
カテゴリ:韓国旅行(09~)
門が少し開いていたのでパチリ。やっぱりここの家も日本で言うところの玄関がない。みんな縁側から部屋に入るのだろうか。 どうも韓国の信号は良く分からない。三叉路で体面に変わった信号があるのはまだよく見れば意味があるが、どうして一方側に信号が付いていないのか。 扶蘇山城麓まで歩いた。ここに観光案内所がある。松菊里遺跡の行き方を聞く。 幸いにもこの辺りから急速に足の痛みが引いていった。いったいなんだったんだろ。元気が出てきて扶蘇山に登ることにした。 以前来たときとは違うコースをたどることにした。扶蘇山(海抜106m)は百済サビ時代の山城がぐるりと回っていて、その下の都を守っている。私はわざとコースを外れてこのようにその城壁伝いに歩いてみた。時々道がなくなる。 今回の旅の癖で、土器探しが始まった。三つほど見つけるが、確かなものだと思えない(結局途中で捨てた) 。 見晴台にたどり着いた。夕方の金河(クムガン)(昔の名前は白馬江)が綺麗だ。 ここから小さな扶余の町が見渡せる。そしてこれが百済の最後の都だったのである。ここからさらに西に行くと、百済滅亡の折に多くの女人が貞操を守るために命を投げ捨てたという落花岩(ナッカアム)やそれを祀ったゴラン寺があるが以前行ったので今回は行かない。 夕陽を浴びて、松林の森が妖しく紅く色づいていた。 一番下に下りてみると、これから整備されるであろう王宮跡の広い敷地があった。これから10年後に来ると、扶余も大きく変わっているに違いない。この写真は最大規模の建物跡(東西35m、南北19.25m)。 そのあとモーテル前の食堂でトンカス(豚カツ)を食べた。韓国では何故か豚カツがカルククス(うどん)と同じ価格。ボリュームがあり、美味しい。少し肉が薄くて質が悪いのを除けば、こんなに大きくてカリカリに揚げていて、私は好きだ。ご飯が少なめなのもよい。 そのあとモーテルに帰り、せっかくなので少しネットサーフィンをした。11月1日の記事のコメントにローマ字で「今、扶余です」「釜山-晋州-釜山-金海-慶州-大邸-ソウル-議政府-扶余と移動してきました。明日、松菊里遺跡に行って、私の今回の遺跡めぐりの集大成になるはずです。23日には、帰っているはずです」と書いたのだが、果たして通じていなかったかもしれない。 キンパブ2,500 シップ薬2,000 宿30,000 定林寺博物館2,000 イヤホンガイド3,000 本(国立博物館+茶戸里遺跡)9,000 昼食7,000 扶蘇山入山料2,000 コーヒー1,500 夕食4,000 合計 66,000w 【お知らせ】 明日から6日ほど旅に出ます。広島を経て九州に行くつもりです。と、言うわけでしばらくお休みします。ご了承ください。もしかしたら、ネットカフェから更新するかも知れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[韓国旅行(09~)] カテゴリの最新記事
|
|