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再出発日記

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2012年04月28日
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カテゴリ:邦画(11~)
11月に観た映画の後半四作、全て力作です。

「サンザシの樹の下で」
チャン・イーモウが大作シリーズから離れて、やっと、「初恋のきた道」の世界に戻ってきた。

最初の僅かな触れ合いはキャンデーだった。次には箸で食べ物を口に入れること。その次は川を渡るときに手を繋ぐこと。その次は……。もどかしいほど、少しずつ、二人は気持ちを通わせていく。これが映画になるということは、おそらく現代中国では珍しいことになっているということなのだろう。と、同時に70年代では普遍的な関係だったからに違いない。日本ではおそらく40-50年代ぐらいまでは普遍的な現象だった。

もう一つの中国独特の要素もある。文革の嵐の中、若者たちの自由恋愛も"走資派"のレッテルを貼られかねない、町のインテリ階級の間ではそんな緊張感があり、よって二人の素朴な恋にもずっと緊張感が付きまとう。青年も少女もお互い親が文革のために自殺したり、牢獄に入れられたりしていた。簡単に感情を表現することは許されないことだった。けれども、二人とも若い。少女はそれに加えて幼い。抑えられない感情を時折に見せるそのさじ加減が、この映画の難しいところであり、チャン・イーモウは老練にもそれをきちんと描いた。チャン・イーモウはやはりチャン・イーモウだった。監督の文革に対する視線はいつも厳しい。

ただ、監督の「女」の好みには賛成できない(^^;)。どうしていつもこんなに痩せっぽちの少女なんだろう。私としては、可哀想にも妊娠して中絶をする汚れ役をやった少女のほうが好みではある。

革命の英雄たちの血を吸ったサンザシの樹の「革命の花は赤い」と思われていたけど、実際には白かった。ということが最後のテロップで明らかになる。その花も今は(中国近代化路線の象徴である)山峡ダムの水の下に沈んでいるという。作品は常に無声映画のように途中で話の筋をテロップで流したのは、そのような「昔語り」という仕掛けなのだろう。蓋し、現代中国人民の涙腺を刺激するに充分である。

「一命」
非常に動的だった「十三人の刺客」に比べ、今回はとても静か。しかし、昔の本格時代劇を髣髴させる起承転結を見せる。

正統時代劇である。市川海老蔵が「武蔵」をやっていたころとは比べ物にならない豊かな表情を見せる。そうか、やっぱり才能がある人だったんだ。

ただ、不満がある。それは「切腹」が単なる記号と化しているからだろうと思う。ここにおける切腹は単に体面を保つための道具に過ぎない。あまりにもエクセントリックなために、外国人受けはするかもしれない。現代人も会社構造における部長を、役所広司に重ね合わせたりして、時代劇で現代批判になっているところに共感するかもしれない。それだけのために、アンナ立ち回りは必要だったのか、と私などは思ってしまう。

そもそも、物語の前提として、諸藩はなぜ「狂言切腹」と分かっていても、井伊家のようにそれをそのまま切腹させなかったのか。そこが描かれていない。最初の切腹を願った武士にいたっては、その藩はその侍を士分に取り上げてさえ居るのである。武士にとって切腹とは、「死を差し出して自らの主張を行う」という暗黙の了解があった。切腹の覚悟をしたということだけで、その人は立派だったのである。その後、切腹は形骸化し、責任を取ることの代名詞に使われるのであるが、それはたぶん明治以降の切腹解釈からきたのであろう。ともかくその建前があったからこそ、諸藩は狂言だとわかっていても、自藩の玄関で腹を切るのは躊躇し、本当に腹を切らせたならば、その武士の葬式、ならびに家族の面倒を見るというのが「武士の体面」だった。しかし、井伊家は「狂言切腹」という悪い噂だけを宣伝し世論を誘導し、本当に腹を切ったその「覚悟」を隠した。そうして家族の面倒を見るという責任を放棄したのである。

だからこれは「武士の体面」と「情け」の対立ではないのである。

本来の武士の道を踏み外した「組織」に対する強烈な批判の映画のはずだったのだ。

しかし、分かりにくくなった。本格時代劇なだけに残念だ。

「マネーボール」
世の中の「革新」はどのようなことから起きるのか、ということに監督は関心があるのだろうか。

facebookの場合は、もてない大学生のもてたいというスケベ心だった。いまや、プロ野球界を席捲しているマネーボール理論の場合は、ひとりの頭でっちかちのでぶっちょを雇い入れたことがキッカケだった・

ブラッド・ピットは好演したと思う。しかし肝心要のチームが快進撃を始める理由がマネーボールのおかげだとはどうも思えないのである。反対を押し切って招きいれた選手を二人も放出した直後から快進撃が始まっているのである。違うのではないか、と思っても当たり前だろう。

一番いいところは、主人公の娘が攫っていった。

「エンディングノート」
ナレーションなし、音楽さえないというドキュメンタリーの秀作がたくさん作られている昨今、最初から最後までナレーション(しかも監督が本人に成り代わり呟くという設定)つきの異色作品である。しかし、それがドキュメンタリーとしての「作為」を感じるものなっていないのは、偏にこの作品の主人公が監督の父親であり、しかも既に死んでいるという特異性からくるものであろう。

末期がんのお父さんをなんと告知前から克明に記録していた。たから、偶然にも告知前の定年退職のスピーチで不覚にも涙ぐむところや、告知直後の呆然としている表情、その直ぐあとの復活している姿、そして全然闘病の影が見えない元気な闘病生活と、その一方で半年で見事にやせ細り、白髪が増え、そして死んでいく姿をフィルムに納めることができた。しかも歴史的な政権交代の時期と重なったので、「政権交代」のポスターも写す事ができている。

編集に一年以上かけている。それだけに作り方はいろいろなやんだのだろう。その甲斐はある、いい作品だった。

結果、見事に浮き上がったのは、化学会社の取締役という出世街道を走った男の平凡で典型的なサラリーマン人生であった。

人は、人生の終り方に一番自分らしさが見えるのかもしれない。

この男性の場合は、「段取りが命」ということなのだろう。計画的に進めて、できることなら前倒しに計画しないと気がすまない。葬式場は自分で決める、好みとコスト面を考えてキリスト教の洗礼を受ける、そのために家族旅行をして名古屋の実母の承認をさりげなく受けたりしている。段取りのよさの極めつけは、死の間際、エンディングノートが不測の事態で息子が「消えてしまった!」とあせっていった時に、少しも動ぜずに「そういうこともあろうかとコピーをとっている」と返した時である。

大変面白いのは、お父さんの息子がお父さんの性格をそのまま引き継いで、人生で初めて肉親の死亡という一大事に、なんだかとても「張り切っている」ように見えるところである。私の父親が死んだとき、私の兄がちょうどこんな感じで張り切っていたので、笑えて仕方なかった。

一方娘のほうはマイペースだ。段取り好きのお父さんの唯一の誤りだった「病室での洗礼」は、牧師さんからではなく、娘が本を読みながら泥縄式に洗礼をするというものだった。「洗礼名はパウロでいいよね」なんともいい場面だった。こんな娘だから、客観的に父親の人生を「映画」にすることができたのだ。

私の父も、膵臓癌がわかった時は「ステージ5」。しかし、たまたま手術ができる病院が近くにあって、父は何とか苦しみながら三年間生きた。ただ、最後の三ヶ月は本当に苦しそうだった。こっちのお父さんは、死ぬ四日前まで元気いっぱい、こんな死に方もあるのだ、と羨ましかったが、まあ、死に方だけは人は選ぶことはできない。





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最終更新日  2012年04月28日 06時02分33秒
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Re:2011年11月に観た映画(下)(04/28)   ヨーコ さん
エンディングノートは佳作だったようですね。いい作品だとは思いましたが,どんなによくても現実の人が死んでいく作品は見たくないので,私は見に行こうという誘いを断りました。
そうですね,死に方は選べませんね。でも,学ぶべきところがたくさんあるエンディングですよね。 (2012年04月28日 21時16分19秒)

Re[1]:2011年11月に観た映画(下)(04/28)   KUMA0504 さん
ヨーコさん
>エンディングノートは佳作だったようですね。いい作品だとは思いましたが,どんなによくても現実の人が死んでいく作品は見たくないので,私は見に行こうという誘いを断りました。
>そうですね,死に方は選べませんね。でも,学ぶべきところがたくさんあるエンディングですよね。
-----
なるほど、見なかったんですね。その危惧は分かります。ただ、会場は半分泣いて、半分大笑いして、というものでした。娘である監督は相当悩みながら作り、見事に作ったと思います。 (2012年04月28日 22時37分00秒)

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