「沖縄」(製作山本薩夫、監督武田敦、地井武男、佐々木愛主演1970)観た。畳み掛けるような個人の闘いが、終盤に急速に全体の闘いになる。米軍が次々にでてくるし 、普天間の本物戦闘機も次々。一体どうやって撮ったのか。久しぶりに骨太な映画を観た。
中村翫右衛門が米軍の脅しにも屈しない古堅村長を演じていて、全く顔を知らなかったのであるが、あとでキャストを見て『さすがだなあ』と思った。米軍と取引をする村長を加藤嘉が憎たらしく演じていて、それはそれで凄いのではあるが、それでも翫右衛門の存在感には負けていた。 最後の米軍戦闘機の演習の弾に当たって死んだおばあの葬儀の場面で翫右衛門は「此処は我等の土地だ。戦さで死んだ兄弟や子供たちの血と汗がしみついている。ひと坪づつでも取り返す」と決意を示す。第2部でもう翫右衛門は出てこなかったが、獲られた土地を本当にすこしづつ取り戻していたということが語られる。そのことが、最後の基地労働者の全員ストライキに繋がって行くのである。
こういう映画にありがちな説教臭さはほとんどなく、若者の群像劇がいつの間にか、全沖縄、全国の闘いに結びついていくというラストが素晴らしい。このような映画が最近とんとなくなった。闘いそのものが、尻すぼみになったからなのか。そういう意味では、いまだに『凄い闘い』をつづけている最新の沖縄映画「ひまわり」は期待できるかもしれない。
(あらすじ)
〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を金目のものを物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。真夜中のある日、米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習場のそばで畑仕事をしていた朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は演習場の中で死んだとでだちあげ、何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。智子は南風へ、清は南米へ行った。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。 〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。