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テーマ:海外ぶらり一人旅(476)
カテゴリ:台湾2015
1月3日(火) 台湾6日目(雨のち雲)
最後の朝は雨だった(「七人の侍」の予告風に)。 6時半に外に出て、チェックアウトギリギリまで台北の街を、まったく当て所なく歩く。コンビニで急遽傘を買った。当て所はないけど、経験上「発見」があることは確信していた。ホテルを出て、駅の南側の道を東に向かって歩いてゆく。「青島東路」。 監察院。いかにも古そうな建物。 どうも「立ち退き反対運動」があるようだ。街と公園を壊して再開発するのではないか。感心したのは、右の文章。おそらく「市は商売の利益のために、市民の安全と健康を犠牲にしようとしている」と書いているように思える。どの時代、どの国でも、これは自治体と市民の関係の本質をついた言葉だ。 中正区の斎東街あたりをぶらぶら。ビルに囲まれてこんな木造家屋があった。幸福教室という文字に、この家の気概が見える。 廃屋になりそうな木造家屋があった。 しかし、よく見ると雨よけの屋根が作られている。 しかも、塀には再生計画の途中経過みたいなものが貼られてあった。もう少し歩くと判明するのだが、この辺りは日本人の役人が多く住んでいた高級住宅地だったようで、その関係で家屋を保存しようという動きが他の地域よりも多いようだ。 これは日本式の宿舎だったという。「大正及び昭和年間に築造」って、要はいつ建てたかよくわからないということ。 「斎東詩舎」という、修復家屋もあった。かつて有名な詩人が住んでいたらしい。 外からいくつか写真をとってみた。 この辺りが今でも高級住宅地なのは、こういうワインの瓶がたくさん並んでいる店を台湾で初めて観たことからもわかる。やれば出来るじゃないか。 これは1930年代築造。日本統治時代は、交通局の高級文官のお屋敷だったが、その後、李国鼎という有名な台湾政府の政治家が住んだ家だったらしい。開館時間ではないので、入れない。玄関の塀の上を花で飾るのは、金持ちの家のすることなのではないか。その証拠に隣の高級マンションも同じように塀に花があった。 そこから南側に歩いてゆく。少し高級住宅地から離れる。すると、こういう家が気取らずに残っている。 屋根をよく見ると、職人がきちんと仕事をしている。台風や地震があるので、ゆがんではいるが、風雪に耐えているのは、いい仕事をしているからに違いない。 その一方で、このように廃屋になって行く家もある。家は住む人が居なくなると、急速に崩れ始める。あれは不思議だ。どうしてなんだろう。 その廃屋のすぐ隣に公民館らしきものがあって、この辺りは「文化里」というらしく、様々な「公告」があった。 「寒冬送暖」というのは、お茶会なのだろうか。「農民暦・月暦」は地区民に無料で渡しているのだろうか。 桃園の角板山に遊び、小鳥の生態を見る会も企画している。 何かよくわからないけど、迎春準備の公告。 ここまでは、中流階級の家々だったが、ここからは更に庶民度が増して行く。金山南路と仁愛路の交差点。交差点の日本式の建物の店が廃屋になったあと、落書きで誤魔化している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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