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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
東京都復興記念館で500円で売っていた。一般書店やAmazonでは出ていないと思う。思う所のたくさんある書画の冊子だった。竹久夢二は関東大震災のちょうど11年後の9月1日に亡くなったという。夢二は、震災の翌日から精力的に下町に出かけスケッチを残し、都新聞(現東京新聞)に9月14日から10月11日まで連載している。テレビやラジオ、写真も少なかったこの頃、焦土の被災者を極めて素早く記録した貴重な絵と文章群である。 関東大震災は、死者行方不明者10万5千人を数えたという。震災の犠牲者としては、日本史上最大の惨禍であった。絵だからこそ、描けるモノがそこにある。しかも、夢二自身の文章もとてもいい。 奇跡的に焼け残った浅草観音堂のおみぐじを求める被災者の列。 「その隣で売っている家内安全、身代隆盛加護の護符の方が売行きが悪いのを私は見た。この人たちには、もはや家内も身代もないのであろう。今はただお御籤によって、明日の命を占っているのを私は見た」 9月3日の朝、夢二は不忍の池の端(弁天堂の近くなのではないか?)で、煙草の「朝日」を売っている娘を見る。夢二は、娘が売るものがあってラッキーだったとは思わない。「売るものをすべてなくした娘、とくに美しく生まれついた娘、最後のものまで売るであろう。(略)売ることを教えたものが誰であるかが考えられる。恐怖時代の次にくる極端な自己主義よりも、廃頽が恐ろしい」 31枚の絵の連載の中で、2回夢二は震災後の「外国人のための自警団」や「流言蜚語」に対して批判的な事を書いている。「朝鮮人虐殺」は、おそらく非常に速やかに広まり、そのことを速やかに憂いた知識人は、このように確かにいたのだ。9月19日掲載の絵である。 子供たちの「自警団ごっこ」を会話形式で描いている。ガキ大将が嫌がる万ちゃんに朝鮮人のマネをしろと命令する。「万公!敵にならないと打ち殺すぞ」そう脅かして無理やり追っかけているうちに「本当に万ちゃんを泣くまで殴りつけてしまった」と書く。「子供は戦争が好きなものだが、当節は、大人までが巡査の真似や軍人の真似をして好い気になって棒切を振りまわして、通行人の万ちゃんを困らしているのを見る」 私が正月2日から4日にかけてひたすら歩いた本所深川の絵もある。「被服廠跡」。 「災害の翌日に見た被服廠は実に死体の海だった。戦争の為に戦場で死んだ人達は、おそらくこれほど悲惨ではあるまい。ついさっきまで生活していた者が、何の為でもなく、死ぬ謂れもなく死んでゆくのだ。死にたくない、どうにかして生きたいと、もがき苦しんだ形がそのままに、苦患の波が、ひしめき重なっているのだ。相撲取らしい男は土俵の上で戦っているように眼に見えぬ敵にあらん限りの力を出した形で死んでいる。子を抱きしめて死んだ女は、哀れではあるがまだ美しい。血気の男の死と戦った形は、とても惨しくて、どうしても描く気になれなかった」「この絵は、最後の死体を焼いている16日に写生したものだ」 罹災者たちに少しでも食料を、というポスターの文章とともに載せた絵。 夜警団の夫の為に、ココアの準備をして待っている妻の絵。 遺骨を土産に、故郷に帰っていく人達を写した絵。 東日本大震災の後に、鴨長明「方丈記」は大きく注目されたが、竹久夢二のこの文章と絵はほとんど注目されなかった。もっと注目されるべき文章と絵だと思う。
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最終更新日
2018年02月26日 12時10分05秒
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