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カテゴリ:読書フィクション(12~)
「さよならの手口」若竹七海 文春文庫 冒頭、葉村晶はこのように呟く。 「この世には数かぎりない不幸が存在している。誰もが不幸と無縁に暮らしたいと願い、不幸の臭いが漂ってくると身を翻して距離を置く。それがうまくいく場合もあるが、飛び離れた結果、かえって不幸に足を突っ込んでしまうこともある‥‥」 こういう呟きが、和製ハードボイルドと言われる所以である。 彼女は、これから起こる事件の説明をしている気持ちなんだろうけど、実は彼女の人生そのものを語っているのである。しかし、彼女の人生はこの作品のテーマではない。 不思議なことに、冒頭こそ不運に見舞われるけど長編の途中まで、目星が次々と当たったりして葉村晶の調査はツキまくる。ツキのあとには、不運が来ると決まっている。しかも最大級の不運がやってくる。葉村晶は「痛い目」に遭う。この「痛い」というのは、身体的にも「かなり」痛かったが、精神的にも「かなり」痛かったのである。 396pの彼女の呟き。精神的に参って、食欲のない葉村晶が、美味しくないファーストフードを途中で残す。残したって誰が責めようか、と私は思うのだが、彼女はこう呟くのである。 ‥‥ふと握りしめていた紙袋に気がついた。捨てようと思っていた工業製品。でもこれも、誰かの手を経て生まれてきた食べ物だ。人の手のぬくもりは感じられなくても、わたしよりましな誰かが作った食べ物だ。もう一度ベンチに座り、ゴミとして丸めたハンバーガーを最後まで食べた。 事件とは関係ないけど、これが彼女の真骨頂なんだろうな。優秀なのに、一見クールなのに、あまりにも優しい。そして、自己肯定感が低い。 ここまで読んできた方々は、気がついているとは思うが、私は本書の事件について一言も語っていない。いや、葉村晶シリーズに関して言えば、ほとんど事件については語らずに長々とレビューを書いてきていたのに、恥ずかしながら今気がついた。少しは〈あらすじ〉を書くのは「礼儀」というものかもしれない。なんか、書き損ねるんだよね。 彼女の人生が面白すぎる。 私は一生懸命頑張っている女の子が好きなのだ。彼女は既に女の子ではないけれども、私には女の子にしか見えない。 申し訳ないので(←誰に?)、ハードボイルドっぽい文を以下にメモする。 ・(週刊誌記事は)どれもいわゆるオヤジ媒体で、強烈な煽り文句やえげつない惹句の裏に、ありとあらゆるものに対するねたみや反感が見え隠れしていた。そしてこの時、叩きがいのある「水に落ちた犬」は、芦原吹雪だった。(91p) ・ようやく脱げたときには、またひとつ賢くなっていた。「人間四十をすぎたら着られない服がある。見た目や若作りというレベルではなく、生物学的に」‥‥。このまま順調に年を重ねれば、わたしはいずれ賢人と呼ばれるようになるかもしれない。(111p) ・おまけに、だ。仮に彼女が裏カジノに関わり、警察内部から捜査情報を聞き出しては警察を小バカにする役割を担っていたとして、それがどうした。犯罪には違いないが、人の世の生き血をすすっているというほどでも、不埒な悪行三昧というほどでもない。警察が捜査するのは当然だとしても、退治てくれよう、なんて気分にはなれない。(224p) ・この人工的な街にくるたびに思うだが、関東ローム層の上で育った多摩の土着民からすると、湾岸地帯なんかで暮らす人間の気が知れない。ところが住民たちは、なんだかやたら幸せそうに住んでいる。(233p) ・着信があった。画面を見てうんざりした。調布東警察署の渋沢漣治だった。警官にさよならを言う方法は、二十一世紀になった現在も、いまだ発見されていない。(249p) ・通った幼稚園がカソリック系だったためか、わたしはシスターにすこぶる弱い。まして佐久間は園長先生に瓜二つだった。膝にすがりついて泣かないように気をつけなくては。(299p)←ハードボイルド文章ではないが、葉村晶の背景を知るためには極めて重要な一文。 次いでにもう一つメモ。巻末にミステリ専門書店〈MUDER BEAR BOOKSHOP〉店長富山泰之のミステリ紹介がおまけとして載っている。いつか読みたいと思った作品。 ・「警部銭形」原作モンキー・パンチ 作画岡田鯛 ・「殺意」フランシス・アイルズ 三大倒叙ミステリの一つ。 ‥‥いかん。こんなの読んで行ったらドツボにハマってしまう。紹介中断。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年05月27日 23時39分23秒
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