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テーマ:本日の1冊(3685)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「図書2021年3月号」 表紙は不気味な雲に隠れた不穏な太陽のように思えます。いつもの司修さんならば、私の見立てなどのあっさり斜め上に行くのだけど、今回は正解でした。ただし、今回は「夢」を描いていません。題名は「夢のようなもの」。2005年司修さんは、ネパールに〈太陽と結婚〉する儀式を見に行き、その帰り道、戒厳令封鎖に出逢います。幸いホテルに帰れたのですが、その時の漠とした不安を描いたもののようです。私は、ミャンマーのクーデター、あるいは10年前に「太陽に蓋をするのに失敗」した日本の原発事故も思い出していたのではないかと推測します。 今回は流石に東日本大震災関連の記事が多かったです。そして、異様に面白い記事が多かった。今回読んだのは、司修さん解説含めて16記事中10記事。以下のものです。 「11年目の枇杷」佐伯一麦 「止まった刻を進めるために‥‥東日本大震災十年」山崎敦 「大江山に鬼が出た!‥‥都に疫病を流行らせるもの」高橋昌明 「ラッドリー家の人々‥‥文学を愛する労働者階級の人たち」小川公代 「古びない物語の魅力」松田青子 「もっともらしさ」畑中章宏 「あんぜん対あんしん」時枝正 「水引に張りつめる力」橋本麻里 「不幸な日本国憲法」長谷川櫂 その中で民俗学者・畑中章宏さんの「らしさ」について考えるシリーズ(4)の「もっともらしさ」をピックアップします。 もっともらしさの最たるものは、「神様」のようです。特に日本のそれは顕著です。日本に神像が登場したのは、6世紀半ば仏教の仏像が入ってきて以降です。それまで神は自然崇拝に由来するもので、姿形を持ちませんでした。 けれども、日本人は外来からの刺激を取り入れて「雑種」を作ります。「神仏習合」はそうして起こり、「神像」も作っては見ました。でも、見てわかるように見てくれだけです。神像に仏像みたいな国宝は結局生まれなかった。むしろ、「山神」や「水神」、「道祖神」は、形象化されることなく、文字碑として祀られることが多い。 日本の神のイメージが持つ「もっともらしさ」を、科学の領域で再現させたのが、一昨年末の紅白歌合戦に登場した「AI美空ひばり」でしょう。この「もっともらしい歌の神様」には、日本伝統の慎み深さはなかった。それはおそらく、国民が願ったものではなく、上から作られたものだからでしょう、と畑中章宏さんは推測します。 そういう意味で、手塚治虫の新作もAIで作られているみたいですが、私は失敗するだろうと思います。おそらくこの辺りに「アンドロイドは羊の夢を見るか」どうかの答えもあるのではないでしょうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年03月01日 23時20分13秒
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