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2016年11月04日
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カテゴリ:つれづれ

さて、今回の日本での私の物語は、東京でのキネシオロジー初級クラスから

スタートしたわけですが

今朝、おさむがこのクラスの様子を

写真つきでブログにアップしていました。

この最後の写真に「倭姫のりこと大和撫子たち」というのがあって
思わず笑ってしまったのですが

これはどういうストーリーなのか、ちょっとお話してみますね。

彼女のことは、以前、ブログにも書いたことがあったのですが

数年前に日本に訪れた時に、一度セッションを受けに来てくださった方がいて

その時、彼女と初対面だったにもかかわらず、魂を揺さぶられるような感覚があり

二人で抱き合って号泣したことがありました。

それは、私にとって、初めて体験する感覚であって

その感覚が一体何なのか、言葉では表現できなかったのですが

きっと彼女とは過去世からの深いご縁があったのだろう

と感じていたわけです。

その彼女が、今回、クラスに参加してくださるということで

再会を楽しみにしていました。

そして、出会った彼女は、数年前と変わらず深い人間愛に満ちた方でしたが

気づいたことは、私が以前と同じような感覚にはもうならなかったということでした。

相変わらず、彼女のことは大好きなのですが、以前のような

「苦しい時を一緒に分かち合ってきた仲間と長い年月を経て、ようやく再会できた」

というディープな感覚ではなく

まるで、先日、別れたばかりの飲み友達と今日も出会った、というような

軽い感覚なのです。

この数年の間に、私の中で何らかの意識が変化していたのを感じていました。

でも、彼女の方は、まだその深い感覚を持っているのが伝わってきました。

これはクラスの最後に一人一人感想を伝えてくださった時に

彼女がお伝えしてくれたのですが

彼女の中では、私は「倭姫(やまとひめ)」としての存在であり

だから、クラスの最初の頃はおさむと私がクラスの中で

いちゃいちゃしているのが(って、私は全くいちゃついたつもりはなかったですが)

嫌だったということでした。

彼女はサイキックなので、その過去世での記憶が

ビジョンとしてあったのでしょうが

私にとっては、倭姫としての私というのが

全くビジョンとしても感覚としてもないわけです。

でも、その話を聞きながら、なぜか、直感的に

その倭姫は巫女的な役割をしていた人なのだな

と感じて、自然と受け入れている自分も感じていました。

もっとも、私たちはありとあらゆる過去世(的なエネルギー)とつながっているので

例え「過去世で一緒に奴隷として働いていました」と言われたとしても

特に驚くことでもなかったでしょうし

様々なつながりの中で、一つの過去世での物語に囚われても仕方ないわけです。

そして、彼女自身、そのことはよくわかっていて
このクラスでを通じて、その物語が終わるのを感じたそうで

最後に「今生の、のりこ(という存在の形)は最高です」と言ってくださったのが

何だかうれしかったです。

そして、今回、その話を彼女から聞いた、ということ自体が

私にとっての物語の一つとなっていた、ということを

後から気づいたわけです。

その東京のクラスが終了して10日後

阿蘇神社で、おさむが奉納演奏している時に

私の中に何とも言えない、もやもや感みたいなものがわき上がってきていました。

最初は、そのもやもや感が

おさむの言動によって起こっている、と思っていました。

というのも、奉納演奏の前に、宮司さんがお祓いをして、祝詞を上げてくださり

その後で、参加者代表として、おさむが榊(玉串)を祭壇に供え

二拝二拍手一拝するという作法がありました。

で、おさむは、全く神道の作法なんて知りませんから

玉串は根元を手前に置いてるわ、二拝二拍手一拝もわからないわ~で

宮司さんがそばで、いちいち「二拍手」とか「一拝」と

小声で指示しなければ、何もできない始末で

私は後ろで見ていて

「おいおい、榊の供え方はわからないにしても

二拝二拍手一拝を知らないって、今まで何度、神社で参拝してきたんじゃ~パンチ

と心の中で、つっこんでいたわけです。

そもそも、宮司さん立ち会いのもと

きちんとした奉納演奏を行うとは

この神社に着くまで全く知らず、たぶん神社の庭の隅かどこかで行うのだろうと

私自身、汚れてもいいような普段着でやってきたせいもあって

正装している宮司さんに対しても

何とも申し訳ない気持ちというか、居心地が悪かったということもありました。

でも、その挙動不審なおさむとは打って変わって

おさむは奉納演奏になると、堂々として素晴らしく

私もその音に引き込まれていったのですが

今一つ、すっきりしなかったので

後で、筋反射で調べてみたわけです。

それで出てきたのが、巫女としての前世であり

そのもやもや感は、巫女としてのプライドから来ている、

と身体が伝えてきました。

巫女としてのプライドって言われても

巫女になったこともないのに、なんじゃそりゃ~という感じですが

もしかして、倭姫と関係するの?と聞いてみても、答えはノー。

それであれこれとスキャンリストから筋反射で見ていって

出てきたのが、私の母方の先祖との(エネルギー的な)つながりでした。

その時は、そこまでピンと来なかったのですが

実家に戻った時に、さりげなく母に尋ねてみたわけです。

私の母の両親、つまり私の祖父母は、神社の神主だったのですが

その神社の成り立ちに関しても先祖に関しても、これまで一度も

母に尋ねたことはなかったし、私は何も知りませんでした。

そして、母が今回、初めて教えてくれたのは

母の父の母、つまり、母にとっては祖母であり、私にとっては曾祖母に当たる人が

いわゆる、今でいうサイキックであり、霊能者であり

当時で言えば、巫女的な人で、神からのお告げということで

人々にメッセージを降ろしていた人だということでした。

そのお告げで多くの人たちが救われた、と集まってくるようになり

正式な神道の家系ではないのですが、曾祖母は神社の神主として
何百人もの信者たちを、一人で取りまとめて祭り事を行っていたそうで

母も子供の頃、年に2回の祭りでは、100以上のお膳を作るのを手伝っていたそう。

曾祖母は、とにかく、自分が持っているものをすべて

人に分け与えるような人で、信仰心がないという母が

「あの人は本物だったのね」と言ったのが、心に残りました。

母の父は、長い間、市会議員をした後、神主を受け継ぎ

亡くなった後は、母の母、つまり、私の祖母がそれを受け継ぎました。

でも、母は、そういった特殊な家庭に生まれ育ったことが

嫌で嫌で仕方なかったそうで

だから、そういった話を一切、子供である私たちにはしなかったのでした。

私が子供の頃、年に2回、神社のあった熊本の実家に戻った時には、毎日

拝殿で家族全員で祝詞をあげていたのですが

母が家で祝詞を上げたり、神棚に祈ったりするのを

一度も見たことがありませんでした。

「私は全く信仰心ないから」

というのは、母の「普通の家庭に生まれたかった」という想いであり

子供の頃からの抵抗だったのだなあと。

そして、祖母が亡くなった後、神社は誰も受け継ぐことがなくなり

今はすべて広かった境内の敷地も、一般の住宅として売られ

なくなってしまいました。

母は、そういった家庭に生まれて、それが嫌だったにも関わらず

その繁栄した神社が取り壊されてなくなってしまったことも

淋しく感じているようでした。

今回、母からその曾祖母の話を聞いた瞬間に

神に身を捧げ、人に尽くしてきたその想いをひしひしと感じて

私の中にわき上がる想いがありました。

そして、筋反射で調べて、わかったのが

私が(無意識レベルで)つながっていたのは、その曾祖母であり

そのつながりが、これまで私を導いてきたということでした。

私は神のお告げを伝える人ではないし
ただ筋反射を使って、それぞれの身体からのメッセージを伝える人なので
曾祖母のように大きな責任を背負っているではないですが
どこかでその曾祖母のエネルギーの影響を受けていたのだなあと。

それでまた納得したのは、実は日本に来る前に

私がいつもセッションをやりすぎてしまうことについて
おさむからセッションを受けた時に

おさむが「何だかのりこは、母方のおばあちゃんとつながっているみたいだよ」

と筋反射で出てきたものを伝えてくれたのですが

私は祖母とは、全くつながり感を感じたことはなく
その時はピンと来ていなかったのです。

でも、それは祖母ではなく、曾祖母だったのだなあと。

私のスキャンリストには、曾祖母という言葉はなかったので

最も近いものが選ばれたわけです。

そして、それと同時に

母の「普通の家庭でいたかった」という想いも

私の意識のどこかで受け継いでいたことも、今回、気づきました。

だからこそ、不思議なぐらい、これまで一度も母に神社のことを尋ねようという気持ちに

ならなかったのではないかと。
そして、私が特殊なサイキックや霊視ではなく
学んで練習さえすれば、誰にでもできる筋反射という形で
ヒーリングを行うことになったのも、母のごく普通でいたい
という想い(エネルギー)の現れだったのだなあと。

そして、その後、無意識のストーリーの中で私の中に生きていた

その曾祖母の想いを昇華し

同時に母の想いも癒すためのセッションを行い
今回、また一つの物語が終わったのを感じています。

そうすべては夢物語だとするなら

これから人々と分かち合ってゆきたいのは、苦労をともにする物語ではなく

ただ子供のように、楽しみ遊んでゆく物語だなあと。

ということで、忘れてしまわないうちに、一気にまとめてみたけど

きっと、このストーリーも年月とともに変化してゆくのでしょうね。

今日のマイストーリーを聞いてくれてありがとうございますハート(手書き)






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最終更新日  2016年11月04日 04時35分33秒
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