テーマ:聖書からの日々の御言葉(206)
カテゴリ:聖書に親しむ
さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」 (ヨハネによる福音書12章20~26) 【上記の感想】 上記は、日本聖書協会の「今日の聖句」を引用。 ここでは、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」が人口に膾炙している。 イエス自身の将来の受難とその復活語のキリスト教の発展を述べられた言葉だ。 ところで、この聖句を文語体聖書では、次のように書かれているようだ。 「ただ一粒の麦なれど、大地にて芽を吹きたくさんの豊穣をもたらせり」 ずいぶんと詩的になるが、ここが文語体聖書の良さなのだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/05/24 06:21:17 AM
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