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カテゴリ:徘徊日記 団地界隈
「桜! 満開です!(その5)」 徘徊日記2020年4月5日(日) 団地あたり
住んでいるのは東と西に大きく二列に十数棟が並んでいる中央に、集会所と事務所がある管理棟がある団地です。管理棟沿いに遊歩道があって、それが、この季節には自慢の桜並木になります。 サクラ天井の歩道が続いています。例年だと、近所の団地にお住まいの方もお花見気分でやってこられますが、今年は満開のここ数日も静かです。 ここから百メートルも続かないのですが、桜のトンネルが始まります。植えられて40年くらいの樹齢でしょうか。サクラの木の寿命というのがどれくらいなのかはよく知りませんが、寂しいことですが、枯れ枝が目立つようになってきました。 そうはいっても花の季節にはこの様子です。 こんな和歌を思い出しますね。 願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ あまりにも有名な和歌ですが、「きさらぎ」は旧暦の2月ですから、今なら3月の末くらいでしょうか。ちなみに、如月の望月15日は釈迦入滅の日だそうですね。 咲けば散るのが花の宿命でしょうね。惜しむこころに翻弄されるのが人というものなのでしょうね。目の前のこの花も、もう散り始めています。 西行にはこんな和歌もあります。 散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき 勝手なイメージですが、サクラの花がよく似合う歌人の一人が与謝野晶子でしょうか。祇園の夜桜の歌でそう思い込んでいるだけかもしれませんが、彼女にはこんな花の和歌もありますよ。 根をはなち 針にさしても 咲くものは 春のさくらと 若きこころと やはりというか、さすがというか、与謝野晶子らしいですね。「彼岸桜」は早咲きの桜です。「暑さ寒さも彼岸まで」なのですが、この桜が花つける頃は、風がまだ少し寒いというところが上手ですね。 さくら花 おそしと待ちし 世の人を 驚かすまで 咲きし今日かな 樋口一葉は与謝野晶子の5歳年上に過ぎないのですが、文学的には一世代上です。与謝野晶子は一葉の小説の若い読者でした。一葉は明治29年、24歳の若さで夭折しますが、晶子が「明星」に短歌を発表するのは明治33年です。 二人の和歌の雰囲気が違うのは、必ずしも、個性の違いだけではなさそうですね。 二人の女流歌人の名前が出てくれば、同じ時代の人で、もう一人、忘れられないのが正岡子規ですね。 いたつきに 三年こもりて 死にもせず 又命ありて 見る桜かな 「いたつき」というのは病床に伏せることです。慶応3年、1867年に生まれた子規は、親友夏目漱石とは同い年です。長く脊椎カリエスを患い、寝たきりの生活の果て、明治35年、1902年に34歳の若さで世を去ります。 病床の桜というべきでしょうか。二人の女流とはちがう迫力に満ちた和歌ですね。 さて、もう少し新しい女流歌人二人です。 桜ばな いのち一ぱいに 咲くからに 生命をかけて わが眺めたり 岡本かの子は岡本太郎の母ですね。馬場あき子さんは今も健在の現代歌人です。 ここからは俳句でもいかがでしょう。お二人とも江戸時代の方です。 散る桜 何が不足で 散り急ぐ 一茶 一茶は北信濃の人ですが、江戸暮らしもしています。「春風や 牛に引かれて 善光寺」は善光寺さんにお参りするとだれもが覚えるのですが、彼の句ですね。正岡子規が、彼の本領は「ユーモア」だとほめた人です。もっとも「花の影寝まじ未来が恐ろしき」というような句もあって、ただの笑いとは少し違いますね。 一方、良寛は越後の人。辞世の句が「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ」だそうで、サクラも紅葉もうまいものです。 ゆさゆさと 大枝ゆるる 桜かな 村上鬼城 村上鬼城は明治から昭和の初めに生きた「ホトトギス」の俳人です。森澄雄は丸谷才一が評価した俳人で、もともとは高校の教員だった人です。ぼくは丸谷才一の本で知りました。10年ほど前に亡くなりましたが、独特の味のある俳句です。 さまざまの ことおもひだす 桜かな 芭蕉 向こうに座っていいらっしゃるお二人も、こういう感じでしょうか。見上げているのは今年の桜なのですが。 追記2020・04・17 「2020桜満開です!」(その1)・(その2)・(その3)・(その4)はそれぞれクリックしてみてください。 ボタン押してね! 街並み巡りランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.05.04 01:42:40
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