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カテゴリ:読書(ノンフィクション)
「ミュンヘン」という映画は、イスラエルとパレスチナの長い暴力と対抗暴力の悪循環を見事に切り取った秀作であった。と、同時に見たものの大部分に「世界」に対する「無力な自分」を自覚させるという意味で、力のある作品だった。
この映画が世界的なヒットをすることに、ひとつの可能性を見出したい。なぜなら文化には「力」があるから。即効性はないが、人の価値観を変える事もある、という力がある。 「《荒れ野の40年》以後」岩波ブックレット宮田光雄この本はヴァイツゼッカー元独大統領(1984-94)の有名な「5月8日演説」(1985)以降の独の歴史認識の変遷を簡潔に述べている。(簡潔すぎて分かり難い所もある) 「過去に目を閉ざすものは、結局のところ、現在にも目を閉ざすことになります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいものです。」 独大統領は日本の天皇と同じく政治的権力は無い。しかし一方で憲法体制の番人として「特殊な権威」が与えられているという。大統領の演説は議会で一切議論されないが、政府からも一切規制されない。大統領が自ら書き、まさに演説することによってのみ影響力を行使するのである、と宮田光雄は言う。 結果、この演説で「歴史家論争」に決着を付け、コール首相の戦没墓の靖国化もストップさせたが、ここでは立ち入らない。 「5月8日演説」では当然ユダヤ民族に対するホロコーストを行った歴史的事実に対する謝罪もしている。「ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻み続けることでしょう。我々は人間として和解を求めます。」宮田光雄は、その言葉には「和解をもたらすにはまだ至らないこと、そのためにはユダヤ人の心の準備が充分に開かれていないことを暗示していた。」と解説します。 歴史的和解というのは簡単ではない。(日本のお偉いさん方分かっているかな)それでもこの演説のすぐあとにヴァイツゼッカーは大統領として初めて最初のイスラエル訪問を果たす。その晩餐会で「真実を心に刻む」という演説をしています。そこでも和解を訴えたあと、中東問題の暴力の応酬についても言及しています。(こういう難しい問題に逃げていないところが素晴らしい) 「いつまでも続く暴力と対抗暴力の悪循環は、長期にわたって人間にふさわしい生存を基礎つけるものではありません。」「ファンダメンタリズム(原理主義)とともに進む両極分解」に対して「寛容こそが自由とデモクラシーとの生存条件なのであります。」そしてキリスト者、ユダヤ人、イスラームにとって「聖なる都」であることを強調して、詩篇の言葉を引いたという。「エルサレム、都として建てられ、そこに全てのものが結び合う町」(詩122・3) ヴァイツゼッカーの言葉に権力は無い。けれども権威はある。よってその言葉は何度も何度も引用されるだろう。言葉には力がある。言葉は文化だからである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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