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カテゴリ:水滸伝
この変哲もない写真は、昨日の夕方、18時40分の倉敷の風景である。 街灯がつき始めた。空は曇っているが、夕方のわりには明るい。雨はちょうど止んだ。 しかし、ちょうどこのとき、大型台風12号が真上にいたはずなのである。 晴れの国岡山では、台風の直撃は生涯数えるほどしか起きてはいない。ましてや昼間のうちに真上を通るなんてことは、しかもそれが土曜日で一日中観察可能な日であったということは、もちろん初めての経験である。大変不謹慎だということは承知の上であるが、私はドキドキしながらずっと空を見ていた。この日は何処にも出かけず、一冊の分厚い小説を読破し、懸念の宿題をひとつ済ませた。 で、結果は楽しみ(?)にしていた台風の目は現れず、このように比較的明るい曇り空が現れただけだった。ちょうどこのころ、岡山県下全域の多くのところで川の氾濫の恐れが出て(一部本当に氾濫して)、十何万人も避難勧告が出たばかりであった。幸いにも数十軒のの床上浸水があったくらいで、過去の直撃のときと比べたら被害は大きくはなかった。びっくりしたのは、倉敷地域すべてに「避難準備」の地域放送が流れたことである。大震災があって、自治体の災害に対する備えはどうやらギヤが一段上がっていたらしい。 以下の本は、この日に読んだ小説ではなくて、楽しみにしていた「楊令伝」の三巻目。発売日翌日には買ってその翌日には読破していた。
【内容情報】(「BOOK」データベースより) 楊令は、幻王として金軍を率いながら、梁山泊の重装備部隊とも連携し、遼に侵攻した。呉用が潜入する江南では方臘の叛乱が拡大し、宋地方軍に大きな痛手を与えている。一方で聞煥章は、帝の悲願の地である燕雲十六州に、ある野望を抱いていた。ついに宋禁軍に出動の勅命が下り、童貫は岳飛を伴い江南へ出陣する。宋、遼、金国、方臘と入り乱れての闘いの火蓋が切られた。楊令伝、擾乱の第三巻。 「これより、梁山泊の頭領となる。すべての同志を、わが血肉としよう、わが心としよう、わが命としよう。そして、宋と闘おう。かつての戦いで死んでいった、ひとりの同志の血も、無駄にはすまい。一度だけここで頼む。ともに、闘ってくれ」 ついに楊令が宋江より受け継いだ替天行道の旗を掲げた。私も身体が震えた。 「楊令伝」明らかにギヤが一段チェンジされている。まだまだ、童貫は最強で宋との戦いは永遠に続くかのようではあるのだが、最初のほうから楊令は「国つくり」を視野に入れているのである。 一方、宗教を利用して方臘の乱が描写される。この方臘もなかなかの人物で、「あの」呉用がすこしづつ惹かれて行くのだ。この行方も楽しみである。 方臘の言っていることが、ある意味では正論だと、呉用は認めざるを得なかった。自ら戦おうと決意した人間は、みんなそれなりの道理を持っている。度人と替天行道のどこが違うのだ、という問いかけが襲ってきたのは一再ではなかった。 最後に持つものは権力。その生臭さは、むしろ方臘のほうが率直に出している。という気がしないでもないのだ。 「考え込むのはやめにせよ、趙仁。はじめてしまったことを、悔むな。国などというものは、できる時にはできるのだ。殺戮の果てであろうと、無血であろうと、同じことだ。人の愚かさが、積み重なって国になる」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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