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テーマ:本日の1冊(3684)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「無言宣伝 京都・北野白梅町駅頭 月曜日のアサ」「無言宣伝」編 ウィンかもがわ 京都市長選を3回闘った井上吉郎さんが、2006年に脳梗塞を患い半身不随車椅子生活になりながらも、2013年から1人から始めた駅頭無言宣伝をしていることは、去年何処かの情報で聞いていた。 月曜日のアサ、首から「異議あり!秘密保護法」「殺すな!殺されるな!」「採決するな!戦争法!」などの看板をぶら下げ、だいたい7時40分から9時まで駅頭に座り続ける。やがては、1人2人、7人、時には10数人が一緒に参加するようになる。この5年間は、秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定、安保法制立法化、沖縄への強権発動、共謀罪法など、不幸ながらも訴えることに不足したことはなかったかもしれない。 井上さんは、器用にもその全ての活動をFacebookを通じて発信し(「右腕不随意運動」を抱えているが、どのように打ち込んでいるんだろ)、またFB仲間の輪を広げている。また、駅頭を通過する人たちも、Facebookを見る限りは多くは暖かい視線があるのが特徴だ。市民も井上さんを観察して信頼し、井上さんも市民を定点観測している。「微力かもしれないが、無力ではない。」それを証明する動きが、この本の中にある。 井上吉郎さんとは、京都生協専務時代に1度だけお会いしたことがある。その時にご助言頂いた加藤周一研究へのヒントは、未だ取り組むことができていない。そのことを加藤周一死去の時にブログで書いた。あとで、実名を載せたことが気になったが、未だお断りのご連絡ができていない。加藤周一関連記事の中で、これが最もアクセス数を稼いでいて、今さら編集し直しても意味ない状態になっている。そのことのお話ができるかどうかはわからないが、ぜひ1度無言宣伝に参加したいと、今、しきりに思っている。 『居酒屋の加藤周一』白沙会世話人だった井上さんは、Facebookの中で、加藤周一の言葉を入れることが、他の作家よりも突出して多い。このような言葉も抜き出していた。 『いかにすれば、戦争を廃止できるか。個人のなし得ることは限られている、とフォン・ヴァイツゼッカーはいい、「あなたは悲観論者か楽観論者か」という問いには、3匹の蛙の比喩でもって答えた。』詳しくは1992年8月の「夕陽妄語」を見て欲しい。「できることはもがくことだけだと考えた」(悲観論者でもない楽観論者でもない)現実主義蛙だけが「容器の外に逃げた」という比喩である。もがくだけもがく、それは井上さんの実感だろうし、私の実感でもある。 2017年12月読了
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最終更新日
2017年12月06日 11時14分11秒
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