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カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「出雲国風土記 語り継がれる古代の出雲」島根県立古代出雲歴史博物館 編集・発行 今年の正月に博物館で手に入れた。けれども、ここの図録はAmazonでも買える(巻末にまだ在庫のある図録一覧も載せておいてくれると、帰ってから購入し易いのだけどなあ)。島根県立古代出雲歴史博物館の開館10周年記念企画展図録(2017年)である。かなりチカラが入っている。観覧はしていないし、私の興味は弥生時代なのだが、それなりに面白かった。 出雲国風土記は、ほぼ完本として存在する唯一の風土記としだけではなく、私には多くの点で大和政権に影響を与えた国、つまり大和政権の合わせ鏡として見ることで、大和政権の歴史、ひいては、私の生涯テーマである「倭国統一」の真実にたどり着く材料のひとつになる可能性があることで、興味深い。押さえていかなければならないことは、現代の写本は細川家本(1597年)であり、原本自体も733年(天平5年)である。倭国統一(3世紀末)から、隔たること450年近く。それを踏まえて見なくてはならない。 上下巻で中央に提出されたのは重要な意味があるらしい。巻物だから、最初の辺りが良く読まれる。つまり「国引き神話」と「杵築大社(出雲大社)創建伝承」が両方とも重要なアピールポイントだったというわけだ。神話が重要なのは当たり前だ。現代もある(はずの)大社の由来が何故重要だったのか。そこに、倭国統一の出雲側からのアピールがあったのだろう。 出雲国風土記の特徴として、神社を400もリストアップしていることがあるという。問題は現代にその遺跡の片鱗もほぼ皆無であるということだ。その理由は、神様は樹木か岩、または山麓に設けられた神祭りのための「空間」だったからではないかという。私も同意だ。この信仰形態は四百年ぐらいでは変わらないと思う。実際現代に見る重要な社である意宇の杜の実態は樹木なのである。 国引き神話には、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬみこと)が、「出雲は若くて小さい国」なので大きくしようと新羅を見ると土地の余りがある。それで引き寄せたのが「八穂米支豆支(やほしねきづき)」の御崎(出雲郡)、とある。その他、隠岐や北陸から狭田国(さたくに)(志谷奥遺跡辺り?)、闇見国(くらみこく)(松江市の東北部)、三穂の崎を引き寄せている。当時、そこを祖先とする人々が住んでいたのだ、とする解釈が最も自然だろう。200年で10代ぐらい変遷するから20代変遷前までは辿れないかもしれない。 2018年9月読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年09月28日 07時55分46秒
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