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カテゴリ:旅の記録
7日に書いた記事で、03年のベトナム旅行の写真を載せた。その中の「金子さんが65年から73年の間、年間通勤時にずっとつけていたという手作りのゼッケン」の写真について、その詳しい記事をたまたま見つけたので紹介したい。ジャーナリストの岩垂 弘さんが書いている「リベラル21」というブログの中に「反戦ゼッケン通勤」を背後から支えた妻「北爆」から44年、金子静枝さんを悼むという記事がある。詳しくはそちらを読んでいただきたいのだが、金子徳好さんのこの活動は、実は今回初めて知ったのたが、有名なものだったらしい。以下少し抜粋。
「北爆」から2カ月後の1965年4月2日、徳好さんは職場の仲間と酒を飲んだ。酒席での話題はもっぱらベトナム戦争だった。 酔うほどに「北爆反対の運動を始めなくては」「北爆反対のゼッケンをつけてデモンストレーションをするというのはどうか」などといった声があがった。仲間の一人が「事務局長の金子さんが先頭を切るべきですよ」と口走ったのを受けて、徳好さんは酔った勢いもあって「ようし、おれはやるぞ」と叫んでしまった。 帰途、電車にゆられて酔いが少しずつさめてくると、大変な約束をしてしまったことに気づき、気が重くなった。妻の静枝はなんて言うだろうか。きっと彼女は反対してくれるだろう。そしたら、それを理由に勘弁してもらおうと、わが家に近づいたころにはやらない時の言い訳まで頭に浮かんできていた。 自宅に着くと、妻は絵を描いていた。「おい、北爆反対のゼッケンをつけようと思うんだが……」と切り出すと、妻は絵筆を走らせながら徳好さんの方を返り見ずに言った。「ゼッケンってなあに。ああ、あれね。あなたにはつくれないわね。ミシンで縫わなくてはだめですものね。あたし、つくってあげるわよ」 徳好さんは一瞬にして酔いがさめてしまった。そして、もう後にはひけないことを知った。その時、徳好さんは、妻がしばらく前から、ベトナム戦争について「アメリカが憎くてしょうがない」としきりに言っていたこと思い出していた。 3日後の4月5日朝、妻がつくってくれたッケンを胸につけて自宅を出た。「じゃあ、がんばってね」。妻はそう言って玄関で徳好さんの背中を軽くたたいた。長男が「お父さん、頑張れ」と叫んだ。通勤途中、じろじろと奇異な目で見られ、なんとも恥ずかしかった。しかし、いまさらやめられなかった。それから、ベトナム停戦後の1973年6月13日に取り外すまで、「ゼッケン通勤」は8年2カ月も続いた。3年目から、首から募金箱をぶら下げ、ベトナムの子どもたちへの支援を呼びかけた。ゼッケンを取り外した時、募金は 139万円を超えていた。 この妻ありて、この夫あり。その徳好さんは07年11月に亡くなり、妻の切り絵作家の金子静枝さんもあとを追うように昨年11月29日に死去、79歳だったという。 驚いたのは、その息子があの映画監督の金子修介(「平成ガメラシリーズ」「デスノート」最近では「プライド」)だったのである。怪獣おたくであり、女の子を撮る事に関しては天才的な才能を発揮するが、一方では一本芯を持っている人だと思っていたのだが(「デスノート」や「クロスファイア」のラストの処理の仕方は原作を超えていると私は思っている)、ご両親の影響もあったのかもしれない。 さて、せっかく諦めていたベトナム旅行の写真が出てきたのだから、もう少し紹介する。 ふらっと入った喫茶店にはなぜかジャパニーズ漫画が幾つか置かれていて、このおじさんはひどく熱心に「サラリーマン金太郎」を読んでいました。 ベトナムでは、建物は白色や黄色い色が非常に多い。黄色は国旗の色、ベトナム人民の肌の色だそうです。 アオザイの女性を写真に撮ろうと一生懸命探していたのですが、2日めにしてやっとバスの中からとることが出来ました。自転車通学をしている学生のようです。学生の制服は白いアオザイのようですね。 これはチョロンの市場。ちょっとした建物はみんななかなかかっこいい。それと今になって気がついたのですが、市場はすべて建物の中に在るのです。野外にはほとんどない。なぜか それは、この写真にヒントがあります。 ベトナムでは天気予報は全く意味を成しませんでした。車で走っていたり、街をぶらぶらしていると、向こうから黒い雲がやってきたな、と感じたらすぐに土砂降りになるのです。いわゆるスコールというやつです。だから野外でやっていると、商品をたたむ暇無く雨があるのでやっていられないのだと思います。このときのスコールの感覚をつい最近私は感じました。そうです。去年の夏です。温暖の課影響はテンポを速めてやって来ている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
TBありがとうございました!金子さんのことは、朝日新聞などで写真入りで報道していましたので知っています。平塚らいてうさんたちが、ベトナムの母と子に、多分(母子検診車)を贈る運動をしていました。その資金集めのために、撃ち落とした米軍機で作ったジュラルミンの指輪を買ったことがあります。100円か200円で。
ハノイはホーチミンよりもベトナムスピリッツがありそうですので、今度ぜひ行ってみてください。ホーおじさんは一人暮らしだったので、大きなテーブルの片方にテーブルクロスをかけて食事をしていたそうです。壁にはレーニンとスターリン?の写真がかけてあり、戸棚の上に日本共産党の誰かからもらったという日本人形が置いてありました。 (2009年02月12日 08時15分27秒)
金子徳好さんの話は読んでいて感動しました。
アオザイのベトナム女性って本当に美しいですよね。 でもペトナム女性は本当にスタイルいいですよね。 (2009年02月12日 21時14分19秒)
薔薇豪城さん
> TBありがとうございました!金子さんのことは、朝日新聞などで写真入りで報道していましたので知っています。平塚らいてうさんたちが、ベトナムの母と子に、多分(母子検診車)を贈る運動をしていました。その資金集めのために、撃ち落とした米軍機で作ったジュラルミンの指輪を買ったことがあります。100円か200円で。 それ、どこかのフリーマーケットで売っていないかしら!! ベトナム戦争は、圧倒的多数に対して弱いものが勝ったという稀だけど時々起こる歴史的な出来ごとで、現代史の中でも一級の出来事だと思います。 > ハノイはホーチミンよりもベトナムスピリッツがありそうですので、今度ぜひ行ってみてください。ホーおじさんは一人暮らしだったので、大きなテーブルの片方にテーブルクロスをかけて食事をしていたそうです。壁にはレーニンとスターリン?の写真がかけてあり、戸棚の上に日本共産党の誰かからもらったという日本人形が置いてありました。 ----- ホーさんは真面目な人だったんですね。薔薇豪城さんもベトナムにいったんですね。ハノイは遠いけど、またいきたいものです。 (2009年02月13日 00時22分04秒)
じゅんぺい1960さん
>金子徳好さんの話は読んでいて感動しました。 >アオザイのベトナム女性って本当に美しいですよね。 >でもペトナム女性は本当にスタイルいいですよね。 ----- 学生は白だけど、大人の女性は薄い青だったり、なかなかのファッションだと思います。スタイル綺麗に見えますよね。 (2009年02月13日 00時23分35秒)
金子さんのこと、読んでいてとても感動しました。なかなかこんな長期間出来ないことです。素晴らしい御一家ですね。
今頃ですが開高さんの「ベトナム戦記」読んでいます。 (2009年02月13日 10時42分17秒)
ribon5235さん
>金子さんのこと、読んでいてとても感動しました。なかなかこんな長期間出来ないことです。素晴らしい御一家ですね。 >今頃ですが開高さんの「ベトナム戦記」読んでいます。 ----- じゃあ、ガザのことで私が出来るかねといえばなかなかできない。奥さんも凄いけど、徳好さんもすごいものです。 (2009年02月14日 00時39分50秒) |
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