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カテゴリ:山大新聞会
「美人コンクール発言事件」はいまや全学生の知るところとなる。
その後何回か大学祭実行委員会が開かれたが、某サークルは欠席したまま。 それがまた「糾弾」の対象となるであった。 わが大学新聞は沈黙を守っていた。 わたしは女性問題に疎く、付け焼刃の学習では到底歯が立たないことを感じていた。 安易に記事にすると、われわれも「糾弾」の対象になってしまう。 一回だけ、先輩がエッセイの装いを持って、この「現象」にコメントしてくれた。 たぶんそのことを免罪符にして、わたしは編集長の仕事を果たした、と思ったのかもしれない。 わたしはこの糾弾会がどのような決着を持ったのかを覚えていない。 (おそらく某サークルは女子学生の会が望む総括文を嫌々ながら書かされたのだと思う) ということは、わたしは最後まで「関わらなかった」ということなのだろう。 「それは賢明な判断だった」と誰かは言うかもしれない。 しかし、今だから言うが、あれは間違っていた。 新聞会は何の立場に立って書くのだろうか。 自分たちの思想を広げるためか。違う。(広げる思想もないが) 「当局」(大学経営者=文部省)か。もちろん違う。 自治会である以上、大学の全学生のために、 学生の立場に立った新聞つくりをしていかなければならなかった。 今起こっている糾弾会は本当はどういうことなのか、学生たちは関心を持っていただろうし、新聞会はそのことに応える義務があっただろう。 編集部に、編集長たる私に「勇気」と「覚悟」が足りなかった。 理論的な未熟はあったかもしれないが、「足で書け」ば、 少なくとも事実関係で後ろ指差されることはなかっただろう、 と今になれば思う。 そうはいっても、あらゆる記事には「主張」(事実を選択するものさし)が あるのだから、そこを突かれたら、後は理論対決になる。 あれは「糾弾」に値する発言ではなかった、と、誠実に言わなければならない。 それはおそらく全学生の支持するところだっただろうと思う。 理論の泥沼に入ることを避けて、世論対決にもっていくという戦略をとれば、 何とかなったかもしれない。 新聞会の「故意の無作為」に あのときの某サークルに対し、 あのときの全学生に対し、 いまさらながら「ごめんなさい」とわたしは謝るだろう。 時機を逸せず、勇気をもって判断を下す、 それは本当に難しい。 そのとき大事なのは、やはり われわれはどういう立場に立つか、ということなのだろう。 もうひとつそのいい例がある。 生協設立運動である。 以下次号。 (さすがになんか「総括文書」を書いたような疲れが(^^;) 次号更新は果たしていつになるのか。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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>わたしは最後まで「関わらなかった」ということなのだろう。
「それは賢明な判断だった」と誰かは言うかもしれない。 しかし、今だから言うが、あれは間違っていた。 <いや 間違っていなかったと思います。 ジェンダーがからむ問題に新聞部としてコメントしたら・・・・火に油を注ぐようなもので・・・それだけ難しい問題なんです。 女性を尊重しつつ、美人コンクール いいじゃないか♪という主張を書ける筆力があれば、別ですが。 (2009年10月10日 18時55分33秒)
Mドングリさん
>女性を尊重しつつ、美人コンクール いいじゃないか♪という主張を書ける筆力があれば、別ですが。 ----- たぶんその筆力は無かったと思います。 でも、やはり手段はあったと思うのです。 30年たって謝っても仕方ないんですけどね。 ほかの人の意見も聞いてみたいものです。 (2009年10月11日 01時01分43秒)
面白いですよ。また続き書いてください。
美人コンクールの是非云々よりも、過剰なまでの「糾弾」に対する違和感ってことじゃないでしょうか?糾弾そのものが目的化して、砂糖に群がる蟻状態が物言えぬ空気を作っていく。いや~~こわいですねー。 目に見えるようで。。。 (2009年10月11日 10時37分00秒)
ヨーコ1015さん
>面白いですよ。また続き書いてください。 > >美人コンクールの是非云々よりも、過剰なまでの「糾弾」に対する違和感ってことじゃないでしょうか?糾弾そのものが目的化して、砂糖に群がる蟻状態が物言えぬ空気を作っていく。いや~~こわいですねー。 >目に見えるようで。。。 ----- ありがとうごいます。 去年若松監督の「実録連合赤軍」を見たときに 「私が79年に大学に入ったころ、「ブント」や「中核派」は細々と生き残っていた。そしてその頃、学費値上げ反対闘争や生協設立運動も起こっていのだが、九割がたの学生は「しらけ」て逃げて行った。それを知ってか知らずか、相変わらずの「学生運動家たち」は難しい単語を並べ、「自主管理自主運営貫徹」とか、あるジェンダー「差別発言事件」では「総括文章」を求める集会が何度も持たれたりしたのである。(詳細は省略)彼らに確かに連合赤軍事件の責任はなかったかもしれないが、彼らはあの事件の教訓を結局一つも汲んでいなかった。」 と、書いたばかりです。 でも良く考えると、自分たちはその教訓をきちんと汲んできたのか、やはり反省しなければならないのではないか。いまも「勇気」を持っているのか。 と、思ってしまいます。 でも、何もしないんですけどね。 (2009年10月11日 11時56分07秒) |
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