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カテゴリ:読書(09~フィクション)
「カラフル」森絵都 文春文庫 映画を見て面白かったので読んでみた。 原作を読んで改めて感じたのは、映画は原作のいいところをうまいこと掬い取り、新たになるほどというエピソードを付け加え、さらには原作ではどうかな、と思うところをうまいこと修正しているということである。映画を見た後原作を読んで、映画のほうがいいと感じたのはもしかしてこれが初めてかもしれない。 映画が原作に付け加えたエピソードは、主人公の真と早乙女君が多摩川電気鉄道砧線の廃線を辿る小さな旅。現在の廃線あとと当時の風景が重なるこれはやはり映画ならではのエピソードだから、いいエピソードだけれどもありうる変更点である。おかあさんが渓谷に釣りに行く真のために青いジャンバーを買ってあげるのだが、真は意地になってそれは着ない。けれども、後に早乙女君と自転車を滑走しているときにその青いジャンバーを着ている。これは映画オリジナル。これも映画らしいエピソードである。主人公とお父さんとの葛藤はほとんどなくしている。これは時間の尺との問題。 映画との比較で秀逸だと思ったのは三点。 天使プラプラの人物造形。自ら自分は天使じゃない、と言っている通り原作でも変な男なのだけど、映画ではさらにきちんとつくっている。真と同じ年頃のすこしこまっしゃくれた関西弁男の子と設定。真がプラプラと別れるとき聞かされた彼の真実「本当は僕は修行を失敗した魂なんだ」という告白と、原作には無い彼と別れたあとに差出人不明で届くメール「生きてる?」。原作では基本的に真の一人称で進む物語なんだけど、映画では色んな登場人物の立場に立ってみることができる。そこが原作との一番大きな変更点かもしれない。 だから秀逸の二点目。人によってはお母さんに共感しながら見るかもしれないが、私か一番共感したのはお兄さんだった。いつもぶすっとしていて、何を考えているのかわからないお兄さんだけど、お母さんが言う。「真が自殺したあと、急に医学部を受験すると言ったのも真が生き返ったからだし、真が襲われたとき一番に発見したのもお兄ちゃんだったのよ」と原作よりもいろいろお兄ちゃんの役割を大きくしている。真が生き返ったときに画面の片隅でお兄さんらしき人がそれに気がつかず壁に頭をぶつけながら泣いているのを私は思い出す。だから、この映画のクライマックスの夕ごはんの場面でおにいちゃんの気持ちに一番共感しながらついつい泣かされてしまったのである。 秀逸の三点目は細かいところだけれども、ひろかが美術部に持ってくるいろんなお菓子は夢やという普通には無いお菓子屋に設定しているところだ。「ひろか、きれいなものが好きなのに、すごい好きなのに、でもときどきこわしたくなる。おかしいの。ひろか、狂ってるの…」まさにカラフル、原作では一番のクライマックスの場面で言うひろかの告白。彼女の内面世界を他の場面でサポートするのがこの設定だと思う。夢のある女の子がそのお菓子屋を出た足で援助交際に出向くのである。 もっと細かい点で言うと、唱子の話し方がひどく独特なおどおどした話しぶりになっていたのも映画オリジナルだった。これは声優の力量に頼った秀逸な設定だったと思う。普通に聞けば、宮崎あおいが演っているとは気がつかなかっただろう。いやあ、やっぱり彼女は天才である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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