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カテゴリ:読書(09~ノンフィクション)
茨城のり子さんの自選作品集の刊行が始まった。思いのほか、知らない詩が多くて大変よかった。
「茨木のり子集 言の葉1」ちくま文庫 全三巻です。一巻目は1950-60年代です。エッセイやラジオドラマ、童話なども入っています。山之口獏さんについて書かれたとっても素敵な詩人評伝も入っています。 気に入った詩には○をすることにしています。下手をすると全部に○をしそうな雰囲気にもなりますが、そうはならないのが「詩」です。詩は科学ではありません。いくら好きな人の文章でも、全て説得されるわけではない。科学ならば、完璧な文章を書けばすべて気に入るでしょうが、「詩」には好き嫌いがあるのです。 ○をした詩は「もっと強く」「小さな渦巻」「いちど視たもの」「敵について」「ジャン・ポウル・サルトルに」「悪童たち」「わたしが一番きれいだったとき」「山の女に」「あほらしい唄」「はじめての町」「蜜柑」「せめて銀貨の三枚や四枚」「女の子のマーチ」「汲む-Y・Yに-」「本の街にて -伊達得夫氏に-」「りゅうりぇんれんの物語」。たぶん他の人が選んだならば全く違った詩になるでしょう。(実際詩集の題名にもなっている「対話」も「見えない配達夫」も入っていません) 「ことばの力 平和の力」で紹介した考え方の具体的な例になっているような気がするので、「小さな渦巻」という詩を紹介したい。 ひとりの籠屋が竹籠を編む なめらかに 魔法のように美しく ひとりの医師がこつこつと統計表を 埋めている 厖大なものにつながる きれっぱし ひとりの若い俳優は憧憬の表情を 今日も必死に再現している ひとりの老いた百姓の皮肉は <忘れられない言葉>となって 誰かの胸にたしかに育つ ひとりの人間の真摯な仕事は おもいもかけない遠いところで 小さな小さな渦巻をつくる それは風に運ばれる種子よりも自由に すきな進路をとり すきなところに花を咲かせる 私がものを考える 私がなにかを選びとる 私の魂が上等のチーズのように 練られてゆこうとするのも みんな どこからともなく飛んできたり ふしぎな磁力でひきよせられたりした この小さく鋭い龍巻のせいだ むかし隣国の塩と隣国の米が 交換されたように 現在 遠方の蘭と遠方の貨幣が 飛行便で取引されるように それほどあからさまではないけれど 耳をひらき 目をひらいていると そうそうと流れる力強い ある精微な方則が 地球をやさしくしているのが わかる たくさんのすばらしい贈物を いくたび貰ったことだろう こうしてある朝 ある夕 私もまた ためらわない 文字達を間断なく さらい 一篇のの詩を成す このはかない作業をけっして。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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茨木のり子をときどき読み返します。
若いときに「汲む-Y・Yに-」に励まされました。 大学の頃、詩が好きだ、と言っていたら、先輩から『詩の心を読む』を紹介され、茨木のり子の世界に入りました。それから、詩集ではありませんが、 『ハングルへの旅』は、隣国との関わりに目が開かれた一冊でした。それを通して、浅川巧や尹東柱を知りました。 (2010年09月15日 20時28分20秒)
文庫本を待ってました!
ハードカバーは素敵ですが、分厚く我が家の狭い本棚に入れるのを躊躇い、代わりにコンパクトな「落ちこぼれ」を買いました。この本の選者は水内喜久雄氏で、茨木さんとの思い出にも触れています。茨木さんは50代で韓国語を学び始めた理由を「一人でできる罪ほろぼし」と答えたそうです。「というと言葉としていやですけど。」と言い添えて。そのエピソードを読んで、普段の会話自体が詩みたいだな…とため息が出てしまいました。 それはそうと、文庫本情報ありがとうございました。 (2010年09月15日 23時19分31秒)
Preacherさん
>茨木のり子をときどき読み返します。 >若いときに「汲む-Y・Yに-」に励まされました。 > >大学の頃、詩が好きだ、と言っていたら、先輩から『詩の心を読む』を紹介され、茨木のり子の世界に入りました。それから、詩集ではありませんが、 >『ハングルへの旅』は、隣国との関わりに目が開かれた一冊でした。それを通して、浅川巧や尹東柱を知りました。 ----- 大人になるというのは すれっからしになることだと 思い込んでいた少女の頃 立居振舞の美しい 発音の正確な 素敵な女のひとと会いました ‥‥‥ という「汲む」という詩ですね。Y.Yとはたぶん山本安英なのでしょうね。本当に素敵な詩です。 たぶん三巻目ぐらいに「ハングルの旅」のエッセイも出てくるのではないかと思います。私もこの本は読んで、大きく影響されました。 (2010年09月16日 08時45分08秒)
のりさん
>文庫本を待ってました! >ハードカバーは素敵ですが、分厚く我が家の狭い本棚に入れるのを躊躇い、代わりにコンパクトな「落ちこぼれ」を買いました。この本の選者は水内喜久雄氏で、茨木さんとの思い出にも触れています。茨木さんは50代で韓国語を学び始めた理由を「一人でできる罪ほろぼし」と答えたそうです。「というと言葉としていやですけど。」と言い添えて。そのエピソードを読んで、普段の会話自体が詩みたいだな…とため息が出てしまいました。 >それはそうと、文庫本情報ありがとうございました。 ----- この本には、「はたちが敗戦」「第一詩集を出した頃」「『櫂』小史」などのエッセイも入っており、詩人の誕生のいきさつもこれで初めて知りました。茨木のり子というペンネームは『二、三分考えていたとき、つけっぱなしにしていたラジオから謡曲の「茨木」が流れてきた。「あっ、これこれ」と思って即座に決めた。」ということだそうです。羅生門で腕を切り取られた鬼が自分の腕を取り戻しに来る話しだそうで「『自分のものは自分のものである』という我執が、ひどく新鮮に、パッときたのは、滅私奉公しか知らなかった青春時代の反動だったかもしれない」ということだそうです。 こういうエッセイも「詩」のようですね。 (2010年09月16日 08時55分27秒) |
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