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カテゴリ:韓国旅行(09~)
2010.11.3(泗川・普州)
泗川(サチョン)から10分ほど車を走らせて勒島(ヌクト)に来たはいいけど、遺跡の場所は探検するしかないな、と腹を決める。とりあえず近くの食堂で昼食をすることにした。そしたら偶然にも今さっき話をしたアジョッシの店だった。この小さな島では釣り客のために食堂と民宿だけは何軒かあるのである。当然というか、ここにはフェ(刺身)の食堂しかない。一食5000Wが当たり前の韓国の食堂ではあるが、刺身料理だけはなぜか高いので、私はほとんど足を向けないのである。一番安い海鮮丼(10000w)をたのんだ。 出てきました。刺身にコチジャンを掛けた丼と、ご飯と五皿の副菜とスープです。せっかくなので魚の名前が知りたい。閑だった食堂に急遽おばさんがやってきて、昼食を作ってくれたのだけど、日本人が珍しいのか、ひそひそ話をしている。アジェンマ(おばさん)に聞く。 「これはなんですか」 「○△×」良く分からない 「ここに書いてください」とメモ帳を見せる。 頼んだアジェンマは尻込みをしてもう一人のアジェンマに書かせる。文字が達筆で全然読めません。単語じゃなくて文章を書いてくれた。読める単語だけでも辞書を引いたけど出ていない。なんだったんだろ。結局何の魚が乗っている海鮮丼なのか分からずじまいだった。副菜のなかで貝の煮つけとイカの塩辛は美味しかった。魚はさすがに新鮮です。 食事のあと、荷物を食堂に預け、「遺跡を見て回りたい」と申し出てみた。アジェンマはアジョッシに聞けという。アジョッシは「ともかくこいつは遺跡の場所に行きたいのだ」と納得してくれて、近くで井戸端会議をしていたハルモニ(おばあさん)に案内を頼んでくれた。手前の小柄なほうのおばあさんでした。 私の肩ぐらいの背が低くてやせっぽっちのハルモニでした。なんと彼女は少し日本語が出来る。 「わたし、7歳から14歳まで日本にいました」なぜいたのか聞いたが、親についていったというぐらいでそれ以上は聞くことは出来なかった。二人並んで橋の手前の畑のほうに歩いていきました。 最初、ここで人が死んでいた、並んで死んでいた、というので、自殺があったのか、あるいは戦中のことかと思っていたら、道の処で寝転ぶ真似をする。どうやら遺跡の発掘の様子を一生懸命説明してくれていたらしい。つまりそれだけ沢山の墓がこの勒島遺跡の橋のたもとで発掘されたということなのだろう。 このあたりは土がアルカリ性なのか骨の出土状況はいいようだ。きっと良好な形で遺骨が出てきたのだ。釜山大学博物館には勒島出土の人骨の展示があった(純粋に学術展示なので怖がらないでね)。墓があったのは畑の横の舗装道路なのであるが、彼女はそこで並んでいた、と畑も指差す。そこで畑の中に入ってみた。びっくりした。 「これは遺跡の土器ですか」 「そうです」 土器って言う意味分かるのだろうか。 「これは貴重です」 ハルモニには私の感動が伝わってはいない。畑に遺跡の土器があるのは当然だろ、という感じだ。せめて私が興奮していることぐらいは分かっただろうか。2000年前に朝鮮半島の人たちが土を選び、成型し焼いて生活していた証がここにある。ひとつの破片からは土の形質、作り方、生活の質までも専門家ならば類推することができる(私にはできません)。 ハルモニには礼を言って帰ってもらって、しばらく畑の上の土器を探した。 ボロボロ畑に落ちている。発掘後にこんなに土器が残っているなんて、日本では決して考えられない。土までもふるいにかけて、小さな玉もないか全部調べて帰るのだ。そして洗浄して土器から時間をかけてて丁寧に一つ一つ再生する。土器の数自体が、データになるし、万が一破片の中に絵画や文字があれば大発見になる。 拾った土器は見た目は弥生土器そっくりだ。線刻もはっきり残っている。幾つか拾って帰ることにした。(本当は良くないことです^^;)しかし、韓国の発掘の杜撰なこと!!! そのあと島の上のほうに回った。 残りの遺跡の場所は特定できなかったが、漁村の家を見て回ることができた。少し上に登るとすぐ島の反対側が見渡せます。 典型的な漁村です。屋根に干物を干している。 驚くほど若者がいない。言い換えれば、若い嫁がいない。おばあちゃんが至るところで網の繕いをしている。 家のつくりは、玄関からよりも窓から出入りすることのほうが多い気がする。 道沿いの壁に絵を描いているのを初めて見た。(帰国して実はこれは現代韓国を覆っている一大美術運動なのだということを知るのであるが、それはこの旅の最後のほうでもう一度書く) 綺麗な小鳥も描いています。 そのあと、潰れたモーテルの上に上がり、村を一望して写真を撮ったのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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発掘した後に土器がごろごろ・・、考古学の世界に投じられる人員、予算、世間の関心が日本に比べて低いのでしょうか?
日本と韓国とで共同での発掘調査なんかは行われたことはないのでしょうか?もしも、行われたことがあるのなら、日本側のやり方は参考にならなかったのかなぁ。もったいない。 (2011年01月07日 13時50分52秒)
勒島人という言い方をするんですね^^
頭蓋骨は歯もくっきりと、何十年か前に亡くなったマウルの長老の頭蓋骨じゃないんですよね^^; しかしまぁ、畑の畝に土器がブン投げてあるなんてびっくりです。 日本だったら辺り一体を保存区域にしてしばらくは立ち入れないようになるでしょう? そこに今住む人たちの生活の糧となる畑なのでそんなこともできないのでしょうか。。 ここへは日帰りですか? (2011年01月07日 14時16分06秒)
明けましておめでとうございます。ご無沙汰していました。
いいですねー、韓国の発掘の旅。しかし発掘現場に土器が残されているなんて本当に信じられませんねー。 今年もよろしくお願いいたします。 (2011年01月07日 20時24分34秒)
まろ0301さん
> 発掘した後に土器がごろごろ・・、考古学の世界に投じられる人員、予算、世間の関心が日本に比べて低いのでしょうか? > 日本と韓国とで共同での発掘調査なんかは行われたことはないのでしょうか?もしも、行われたことがあるのなら、日本側のやり方は参考にならなかったのかなぁ。もったいない。 ----- すみません、少し勘違いする書き方をしました。本当は次の日に慶尚大学で発掘のことを聞いてこの認識を改めるのですが、いわばその前振りとして書いたのです。土器が残っているのは、理由があることでした。 ただ、発掘に対する感心が日本より低いのは確かだろうと思います。日本ではこんなにごろごろ残っているということはありませんもの。 あと3日後の記事をご参照ください。 (2011年01月08日 14時55分34秒)
たそがれちえぞーさん
>勒島人という言い方をするんですね^^ >頭蓋骨は歯もくっきりと、何十年か前に亡くなったマウルの長老の頭蓋骨じゃないんですよね^^; 明石原人みたいな‥‥‥!?日本で言えば弥生人の骨ですから、日本でも頭蓋骨自体はあまり貴重でもないのです。でもたぶんこれだけ出てくると、ひとつの型として確立しているのは確かでしょうね。この写真は釜山大学の展示室にあったので、少なくとも確実に2000年位前くらいの骨です。展示内容がよく分らなかったのですが、もっと昔の骨とこの勒島の骨とでは、日本で言えば縄文人と弥生人の違いくらいの骨格の違いがあったようです。 >しかしまぁ、畑の畝に土器がブン投げてあるなんてびっくりです。 >日本だったら辺り一体を保存区域にしてしばらくは立ち入れないようになるでしょう? >そこに今住む人たちの生活の糧となる畑なのでそんなこともできないのでしょうか。。 >ここへは日帰りですか? ----- 次の日に発掘関係者のひとと話をして私の「杜撰だ」というのは素人考えだということがわかったのです。そういう意味では誤解するような書き方をしました。すみません。この書き方にこんなに反応するとは私の計算外でした。 日本でも、発掘が終われば発掘したところはたいていは埋め戻されます。ここの場合は道路になりました。畑は個人の土地だから、本当は立ち入ってはいけません。本当はブログで「土器を拾った」とかかいちゃいけないんですよ(^_^;)。日帰りです。二時間回ったら島の全部は見て回れました。 (2011年01月08日 14時56分47秒)
じゅんぺい1960さん
>明けましておめでとうございます。ご無沙汰していました。 >いいですねー、韓国の発掘の旅。しかし発掘現場に土器が残されているなんて本当に信じられませんねー。 >今年もよろしくお願いいたします。 ----- 久し振りです。明けましておめでとうございます。じゅんぺいさんも心機一転ですね。 実はこのことがあって以来、遺跡が近づくとずっと下を向きながら歩くようになりました。(^_^;) (2011年01月08日 14時57分32秒) |
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