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テーマ:映画館で観た映画(8350)
カテゴリ:洋画(12~)
年末の12月に観た映画はたったの5作だった。結局2017年に観た映画の本数はきっちり120本。少し長いが、一回で全部紹介する。 「リングサイド・ストーリー」 プロレス界とK-1の裏方についたダメ男の彼女を通じて、ファイト・ラブコメディが快調だった。 シネカノンの李鳳宇が、プロデュースと脚本に参加していた。彼の視点が健在で少し嬉しい。 「俳優ってのはなっ!人に非ずって書くんだよ!」いかにも、長い間下積み俳優を続けている男のいいそうなことだ。 (解説) 2017年10月8日
表町商店街、西大寺電停前、京橋、旭川の河川敷、岡山市民病院(景色の良い見晴らし台だけ何処かわからなかった←のちに岡山市ではなく、浅口市の逍遥山だとわかる)、思った以上に岡山市で2人がロケをしていて、しかも岡山市観光作品にはなっていない。 純愛を突き詰めると、こうなるのではないか。 一般の闘病モノとは一線を画すキチンと泣ける、地味な恋愛モノになっていた。事実を元にしながらも、「愛です。絶対直ると信じることが大切なんです」「壊せばまた直せば良いんだからな」自動車修理工にあわせた身に沁みる脚本が素晴らしい。土屋太鳳の、動画が豊富に存在するからできたのかもしれないが、各段階の症状の表情に説得力があった。誠実な青年を佐藤健の演技が応えていた。 一月に、映画のもとになったドキュメンタリーを見たが、相当脚色している、しかし核のところのみは残していることがわかった。つまり尚志の「消してぶれない愛」である。テレビでは、ほとんど動画は紹介されなかったので、撮りためていた動画を見て麻衣が心動かされたのは脚色かもしれない。映画サークルで、ロケ地巡りをして楽しかった。
2017年12月9日
(ロビーストが勝つのに必要なのは)「予測すること。敵の行動の一歩先を行くこと。敵の切り札がすべて出た後に、最後の切り札を出せるように用意しておくこと」 という意味の女の信条が少なくとも3回繰り返される。だから、観客はまるで水戸黄門の印籠がいつ目の前に出て来るのかをずっと待つだろう。そして期待通りに、それは出た。 なるほど。これは切り札だ。決して、本当は決して使ってはいけない切り札だ。 いや、これは最初から「使う予定の切り札」として用意していたのだという意見も聞いた。大いに議論が分かれた。それも楽しい。 こういう女がどうして出来上がったのか。「結婚して、家庭を持つあり得たかもしれない人生をなぞるために、男を買うのよ」等々の台詞以外には、なんの説明もされない。その切り取り方がなかなかいい。実にアメリカ映画らしい秀作。 (解説) 戦略の天才たちにモラルや常識は必要ない。危険な一線も越えて繰り出される秘策は、どんな武器よりも強力で過激! 一瞬先も読めないロビイストたちの闘いが、かつてない興奮とサプライズ、感動をもたらす話題作が誕生した。 ロビイストの“女神”に君臨するのが、エリザベス・スローン。真っ赤なルージュ、一流ブランドとハイヒールで武装した彼女が、天才的なひらめきと無敵の決断力で、巨大な勢力を敵に回すーー。 銃規制法案を巡るロビー活動の攻防には巧妙な罠も仕掛けられ、予想不能のサスペンスが展開。そして逆転に次ぐ逆転劇の末に導かれるのは、清々しくエモーショナルな結末! 2017年12月17日 「スターウォーズ 最後のジェダイ」 期待していた二つの繰り返しのうち、一つしか実現しなかった。 それ以外は、満足な出来だった。 これは父親殺しの物語である。父親を殺して、闇に落ちるか、それとも英雄になるか、世の英雄譚には二通りある。つまりこれは主人公はカイロ・レンだったということになる。 次回ルークがある形で出て来るのは必死である。それによって、「失敗こそが最高の教えである。」というヨーダの言葉が活きる。 こういう繰り返しの展開の中で、確実に世代交代を行う。これこそが新三部作の魅力だろう。
原題は「DENIAL」。「否定」であり、「否定と肯定の対決」ではない。ホロコースト否定論者がいかに信頼出来ないかを明らかにする裁判の一部始終を扱った作品だからだ。しかし、日本人は、こういう邦題にした。そこに、いま議論があると言われる事項(南京大虐殺、従軍慰安婦問題)に対する「忖度」があると、私は思う。 観客はほとんど老人だった。日本の否定論者の中心世代はあまり居ない様に思えた。しかし、客は30人近く入っていた。このハコでは比較的入っている方だ。アクションのない、法廷劇に人が入るのはそれだけ関心も高いのだろう。 日本の否定論者がもしこれをみたならば、アーヴィングと同じ様に判決があっても「これは単にアーヴィングだけが酷い歴史学者だけだった話である」「リップシュタットは、裁判戦略のために陳述もしなければ証人も呼ばなかった事になっているけど、ホロコーストの歴史自体の真実の証明を放棄したからだ」「彼女が勝ったのは、豊富なユダヤ資金があったからだ」と、チャチを入れるだろう。目に見えるようだ。そして、なんとか、「否定論者と肯定論者の闘いは続く」と持っていくのだろう。否定論者のやり方はいつもそうだ。自分が不利になれば不可知論に持って行き、少し突っ込むところがあれば感情論で世論に訴える。そもそも、こんな映画で、客観的な真実を「証明」することは困難だ。何度も何度も出てくるアウシュビッツ「跡」の隠しようもない映像。しかし、実際に虐殺した多量の死体の写真はない。意図的に撮らなかったからである。(南京大虐殺は死体の写真はあるが、数をごまかしているという。従軍慰安婦は証人はいるけど、本人が嘘をついていると言う)2時間の映画ではわからない事が山ほどあるが、ことの単純な事実はひとつである。憲法学者の木村草太さんの言うように「あなたの知的誠実さにかかっている」のだ。 レイチェルは、イライラするような女性学者を等身大で演じていて見事だった。 (解説) 裁判の行方を混沌とさせたのは、アーヴィングが提訴した先が、英国の王立裁判所という点だった。英国の司法制度は、訴える側ではなく、訴えられた側に立証する責任がある。それゆえ、訴えられたリップシュタットは、裁判でアーヴィングが唱える“ホロコースト否定論”を崩す必要があった。 このため、彼女のために、英国人による大弁護団が組織された。アーヴィングの日記を調べ上げ、アウシュビッツの現地調査も行い、歴史の真実を確認する作業が繰り広げられる。
リップシュタットは、アメリカの法廷での戦い方との違いに戸惑い、反発する。しかし、裁判が進むにつれて、弁護団の戦術の深さと巧みさを知る。さらには弁護団の人柄に引き込まれ、この裁判には何としても勝たねばならないという使命感が湧いてくる。 ナチスによる大量虐殺はあったのか、なかったのか。世界中のマスコミが注目するなか、歴史の真実を争う裁判は判決の日を迎えた。 このドラマチックな裁判の映画化にあたって、まず脚本家のデヴィッド・ヘアに白羽の矢が立った。彼はナチスの戦争犯罪裁判を題材にした映画『愛を読むひと』(08)でアカデミー賞脚色賞にノミネートされている。脚本執筆にあたり、膨大な裁判資料をすべて読みこみ、事実を描くという信念のもと、裁判の再現に真摯に取り組んだ。監督にはイギリス人のミック・ジャクソンが選ばれた。 ホイットニー・ヒューストンとケヴィン・コスナーが共演した往年の大ヒット映画『ボディガード』(92)の監督であるが、最近はドキュメンタリーを数多く手掛けている。本作では、弁護団のやり取りや法廷での審理シーンなどもリアリティーある場面に仕上がっている。 ユダヤ人歴史学者リップシュタットは、アカデミー賞受賞者であるレイチェル・ワイズが熱演。自身のルーツにユダヤ人の血が流れる彼女は撮影前にリップシュタットに何度も会い、リップシュタットの思考や信念に留まらず、彼女の特性や性格まで把握し、演技に臨んだ。対決する歴史家にはティモシー・スポール、年長弁護士にトム・ウィルキンソンという老練したイギリスの名優が共演し、作品に重厚さを与えている。 “ポスト・トゥルース”や“フェイクニュース”といった、捻じ曲げられた理論であっても、それを声高に主張すれば世間に認められるという現代の風潮にも警鐘を鳴らし、普遍的なテーマを投げかけている。歴史上、争いのないと思われる真実であっても、時として否定論者は現われることがある。ホロコーストという最大にして最悪の世界史を題材とした本作は、歴史の真実を伝え続けなければならない我々一人ひとりに対する警告でもある。 2017年12月27日 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年01月24日 10時51分24秒
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