吉村千彰「惜別 野口武彦さん ケレン味さえた『書く講釈師』」(朝日新聞9月28日(土)夕刊)
世を棄てゝくまばや汲まん白菊の花の中ゆく滝川の水
瀧川の里にて 伴林 光平
石碑の前に立つ、在りし日の野口武彦先生の写真が2024年9月28日の朝日新聞の夕刊に、「惜別 野口武彦さん ケレン味さえた『書く講釈師』」と題して載っていました。「ちょっと、タケちゃん、写真載ってるわよ。吉村千彰さんが書いてはる。」
「あっ、この写真、この間、タケちゃんのマンション片付けてて見つけたやつや。十津川の谷瀬の吊り橋に行った時やで。」
「あの頃、よう行きよったねえ。」
「うん、三浦君が運転して、ボクと芳子さんと4人な。この時は、奈良の五条の代官所とかいった時や。天誅組やな。後ろの座席で芳子さんとシマクマさん、あの畑の花みたいに開いてる野菜何?白菜ですやん。えっ?そうなの?そうですよ、あれが巻いていくんです。まあ、そんなおしゃべりしながらやったなあ。」
「神戸の地震のあとの頃やんね。」
「うん、ボクが、法隆寺も伏見稲荷も行ったことありませんいうたら驚かはって、シマクマ教育ツアーが始まってん。法隆寺、伏見稲荷が始まりで、関ケ原、安土城跡、備前の閑谷学校、そうそう、四国の宇和島城なんか泊りがけやったで。ボクはお気楽な同乗者やったけど、取材旅行やってんな。」
2024年6月9日に亡くなって100日余り、9月の末にお住まいだったマンションの処分も終わり、膨大な蔵書は大阪の古書店が引き取ってくれて、資料のコピーの山はゴミ置き場の籠いっぱいの資源ごみ!になりました。とどのつまりまで、書きつづけていらっしゃった日記帳や研究ノート、大量のスナップ写真は、悩みに悩んで、とりあえずの保管場所に移動しての作業終了でした。 写真の奥のあの部屋。その昔、たしか燕語亭と呼んで集っていたと思うのですが、あの、あるいは、最近では桃叟庵でしょうか。
あの部屋も、2024年、9月30日、月曜日。これでオシマイ!
追記
ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)