|
カテゴリ:08読書(ノンフィクション)
報道によってわかるのは、切り取られた恣意的な部分でしかない。
全体を見た上で評論するのがベストである。 評論を見て、見た気になるのは非常に危険だ。 だから、私は映画や本についての評論は、見たうえ、読んだ上でないと書かないようにしている。 タモリが赤塚不二夫の弔辞を読んだ。「私もあなたの数多くの作品のひとつです。」それは一面タモリの思いを代表してはいるだろう。けれども、それでタモリの思いをわかったような気になってはいけないと思う。その場にいれば弔辞の全文を聞くことができた。タモリの思いはその「全文」なのだ。これは一般に人の思想を論じるときの基本姿勢である。必ず原文に当たる。 ずっとあの全文を読みたかった。今日たまたまそれを見つけたので、紹介し、あの弔事について、「評論」したいと思う。 「私もあなたの作品…」タモリの弔辞全文(日刊スポーツ) 決して優れた文とは言えないけれども、想いのこもった名弔辞であると思う。 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ちはなたれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事にひとことで言い表してます。すなわち、「これでいいのだ」と。 これは一方で、タモリの生き方そのものでもある。タモリと話す人はどんな人でも、笑いがとれる対談になってしまう。しかも決して人を貶める笑いは絶対に取らない。あの話術は後世に残るだろうと思う。 その裏には強烈な反骨精神もありました。 と赤塚のことは、いっているけれども、ついには具体的には述べませんでした。タモリの中にそれは入っていないので、当然でもあるのです。 本当は全文をそのままコピーしようかと思いましたが、長くなるので省きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[08読書(ノンフィクション)] カテゴリの最新記事
赤塚さんが見つけた頃のタモリはアナーキーでグロテスクで、今お茶の間で目にする姿とはまるで違うものだったようです。
売れっ子になって、守りに入り牙も抜けた感のタモリですが恩は忘れていなかったというところでしょうか。 相撲で言えばタニマチだったのですから。 見る目と財力のある人間が才能ある人を育てるのは責任でもあると思います。 (2008年08月08日 20時41分12秒)
タモリが「弔辞を読んだ」ということになってますが、実際にはどうやら白紙の紙を読んでるふりをしてたらしいですね。
故人も大喜びしていることでしょう。 (2008年08月08日 21時07分44秒)
「お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです」と言い訳をしながらお礼を言うタモリの弔辞に泣けました。
「これでいいのだ」と赤塚さんは言ってるでしょうね。 (2008年08月08日 21時13分16秒)
アドリブを即興と称しますが、「即」「興じる」ということだと思います。積み重ねがあって、場がひらめきます。
遺影の前にたつと、言葉がどんどんと紡ぎだされてきたのではないかと思います。 いまのタモリの芸はたしかに流しています。 いざというときに、これだけの追悼の弁を発するのですから、またいつのときか新たな芸を見せてくれるように思います。 れれれのおじさんに合掌 (2008年08月08日 21時23分49秒)
abi.abiさん
>赤塚さんが見つけた頃のタモリはアナーキーでグロテスクで、今お茶の間で目にする姿とはまるで違うものだったようです。 >売れっ子になって、守りに入り牙も抜けた感のタモリですが恩は忘れていなかったというところでしょうか。 >相撲で言えばタニマチだったのですから。 >見る目と財力のある人間が才能ある人を育てるのは責任でもあると思います。 ----- イグアナの芸をしていた頃でしょうか。あれはあれで面白かったのですが、あの方面に突っ走らずに、笑っていいとも、路線に行ったのは彼の本質を突いた路線だったからだと思います。彼には反骨精神はありませんから。 (2008年08月09日 07時12分35秒)
これでいいのだ!さん
>タモリが「弔辞を読んだ」ということになってますが、実際にはどうやら白紙の紙を読んでるふりをしてたらしいですね。 >故人も大喜びしていることでしょう。 ----- 「文が優れていない」と書きましたが、どうやら即興であそこまで語ったようですね。確かに、いい芸をしていると思います。 (2008年08月09日 07時14分15秒)
ももたろうサブライさん
>「お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです」と言い訳をしながらお礼を言うタモリの弔辞に泣けました。 >「これでいいのだ」と赤塚さんは言ってるでしょうね。 ----- 赤塚さんもあの「会場のどこか片隅で、ちょっと高いところから、あぐらをかいて、ひじをつき、ニコニコと眺めてい」たことでしょうね。 私の五歳の頃の写真に「シェー」をしている写真があって、私もあの弔辞には感無量なところがあります。 (2008年08月09日 07時19分49秒)
ちょもこ2007さん
>アドリブを即興と称しますが、「即」「興じる」ということだと思います。積み重ねがあって、場がひらめきます。 >遺影の前にたつと、言葉がどんどんと紡ぎだされてきたのではないかと思います。 >いまのタモリの芸はたしかに流しています。 >いざというときに、これだけの追悼の弁を発するのですから、またいつのときか新たな芸を見せてくれるように思います。 >れれれのおじさんに合掌 ----- 私は、笑っていいともの毎日の対談は凄いなあ、と思っています。毎日シナリオも無いのに、あそこまで笑いが取れるのは凄い。毎日だから、あれが70%ぐらいの集中力なんだろうと思います。ギャグタレントとしての花舞台をそろそろ用意してもいいのではないでしょうか。 (2008年08月09日 07時23分08秒) |
|