8月6日(Sun) ロンドン グリニッジへ
見たいところだけピックアップして大英博物館を3時間半位でまわり、心を残しながらも次の目的地
グリニッジへ。
お菓子の世界に関係するのは、Cutty Sark for Maritime Greenwich駅近くに展示されている帆船
カティーサーク号。前々から見てみたいと思っていたので、3本マストの優雅な姿を目の当たりにして感激!
カティーサークと聞くと「ウィスキー?」と思う人も多いかと思いますが、この美しい帆船はお菓子の友「
紅茶」と大いに関係があり、その激動の歴史に心動かされます。
カティーサーク号
紅茶といえば何といっても新鮮さが命。
18世紀には原産地中国からアフリカの喜望峰経由でロンドンまで半年以上かけて運んでいましたが、19世紀中頃に登場した快速船
ティー・クリッパー(紅茶を運ぶ帆船)によって90日ほどに短縮され、少しでも早く届いた紅茶に高値がつくようになります。
新鮮な紅茶を手にいれようとする熱は高まり、どの船が最も速く新茶を運ぶか賭けが行われ、イギリス人が
ティー・クリッパーレースに熱狂する時代に突入しました。
紅茶研究家の
磯淵 猛氏の著書『紅茶画廊へようこそ』(扶桑社刊)の中に、【テムズ川沿いのレストランで賭けた船を待つ人々】の絵が載っていて当時の様子がわかります。
そして1869年、“史上最速にして最も美しい船”
カティーサーク号がティークリッパーとして華々しく登場。
ところが…哀れなことにその直前に
スエズ運河が開通。
運河を通れば60日ほどで航海ができるようになったのですが、構造上、蒸気船でないと通行できないため、帆船の役目は終息に向かっていったのです。
カティーサーク号の絵が描かれた
ティーキャディー(英国製)
カティーサーク号は1877年までは
ティークリッパーとして使われレースにも参加しましたが、その後はオーストラリアから
羊毛を運ぶなど、様々な荷物を運搬するようになります。
(没落した貴婦人というイメージが…)
1895~1922年には
ポルトガルに売却され、名前もFerreira号へ、そしてMaria do Amparo号へと変えられ、もしかするとそのまま異国の地で廃船となったかもしれません。
運が強いことに、引退した帆船の船長Wilfred Dowman氏がカティーサーク号であることに気づいて当時の価値より高い£3,750で買い戻し、カティーサーク号はめでたく
イギリスへ戻ることができました。
その後
テムズ大学→
カティーサーク協会→
グリニッジへと移り、1957年からは現在のように一般公開がなされています。
カティーサーク号のHPには「現存する唯一のティークリッパー」「大航海時代の見本」と書かれ、その歴史も詳しく紹介されています。
(船は[She]なのですね。)
お菓子&紅茶好きの皆様、イギリスに行かれましたらぜひグリニッジでカティーサーク号をご覧になり、その数奇な運命に思いをはせて下さいね。
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英仏11日かけ足の旅6 ・ パイ専門店で英国伝統のパイを へつづく
ちなみにお酒のカティーサークはこちら。
よく見ると、ラベルに帆船カティーサーク号の絵が描かれていますね。
カティーサーク 700ml 40度
↓インテリア(完成品)のカティーサーク号には帆がはってあります。
帆船”カティサーク”
↓自分で作る模型のカティーサーク号はこちら
ウッディージョー 1/100 サーモピレー
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