お菓子ツアーの話にもどります。
ツッカベッカライ・カヤヌマの店内で、めだっていたのは
ツィトローネ。
これは常温で、デニッシュなどと一緒に机の上に置かれています。
強めに焼き上げた
フィユタージュの高さも目をひきますが、中に入れられた
レモンクリームとともにいただくと、きっと、とろ~んサクッ!とパリッと…。
美味しそうですね~。
さて、今回注目するのは、このケーキがのせてあるお皿の模様。
これは
ウィーンの薔薇模様です。
ツッカベッカライ カヤヌマでお使いなのは
アウガルテンの「ウィンナーローズ」ですが、この薔薇の食器には三種類あるのをご存知ですか?
→ →
左)
アウガルテン「オールドウィンナーローズ」
AUGARTEN Old Wiener Rose(1744年)
1718年 ヨーロッパで2番目に古い
ウィーン窯(後のアウガルテン)が開かれました。
1744年
ハプスブルク帝国の
女帝マリア・テレジアの勅命により、この
ウィーン窯は、
インペリアル・ウィーン磁器工房として皇室直属の窯となります
薔薇のモチーフのディナーセットは、オーストリア・ハプスブルク家の伝統の柄として非常に有名です。「
オールドウィンナーローズ」は、その中でも最も古いオリジナルのシリーズです。
中)
ヘレンド「ウィーンの薔薇」
HEREND Vieille rose de Herend(Habsburg)(1860年代)
ハンガリーの
ヘレンドで最も人気の高い「
ウィーンの薔薇」の模様は、ハプスブルク家御用達の歴史あるパターン。
ヘレンドグリーンと呼ばれる自然な緑色と組み合わせた上品なシリーズです。
オーストリア皇室伝統の薔薇の模様が、何故ハンガリーへ?
ここで、先日書きました
ユーゲントシュティールやアール・ヌーボーの動きがでてきた19世紀末の歴史をざっと振り返っていただければわかりやすいのですが、
19世紀後半は、大量生産の時代へと突入しています。
手作りの高価な磁器は顧みられなくなり、
インペリアル・ウィーン磁器工房は1864~1924年、
閉鎖を余儀なくされます。
そこでハプスブルク家の命により、「
ウィーンの薔薇」の模様も含む多くの型やパターンが、ハンガリーの
ヘレンドへ移されました。
何故
ハンガリーか、おわかりですね~。
1867~1918年
オーストリア・ハンガリー二重帝国に君臨していたのは、他でもない
ハプスブルク家だからです。
1914~1918年 第一次世界大戦により、帝国は崩壊。
ヘレンドは、皇帝が帝位を退くまでこれを納め続け、「
ウィーンの薔薇」は
ハプスブルク家門外不出のパターンとなっていました。
右)
アウガルテン「ウィンナーローズ」
AUGARTEN Wiener Rose(1924年)
閉鎖から60年後の1924年、アールヌーボーの時代に、かつての
マリア・テレジアの狩猟の館
アウガルテン宮殿に工房を移し、
ウィーン磁器工房アウガルテンと名称も変え、ようやく再興することができました。
この時に発表されたものが、伝統の薔薇模様「
オールドウィンナーローズ」のリメイクである「
ウィンナーローズ」です。
一つの薔薇の模様をめぐり、約300年の歴史があるのですね~。
ツッカベッカライ・カヤヌマでお菓子を買った時に、ウィーンの歴史の重さを感じたのは間違いではありませんでした☆
アウガルテンのサイト(英語)
ヘレンドのサイト(英語)
ハプスブルク帝国の女帝
マリア・テレジアについて、次の記事で少し補足を。
お菓子ツアー[15] マリア・テレジアの薔薇 に続きます
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