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2007.06.16
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カテゴリ:安全



安全と安心の科学
著者: 村上 陽一郎

 安全・安心という言葉を良く使うけれど、その差など何も考えずに使っているのが私たちである。 しかし、この2つの言葉の対語を考えると、その違いがわかる。 
 すなわち、安全の対語は、危険であり、安心の対語は、不安である。
 安全・安心を支える言葉に満足がある。その対語は、不満である。
 このように考えると、概念がスッキリする。
 そうすると、まず私たちは、安全をいかにして手に入れるかということを考えなければならない。
 逆に言うと危険からの回避をいかにするかということである。
 私たちが人間であるがゆえに危険に対する厄介な概念がある。それがヒューマンエラーというものである。
 思わずとか思わぬという言葉で言い表せる言葉か。
 ありゃあ、やっちゃった、というやつだが、その危険からの回避のために今はいろいろな施策が講じてある。
 それでも足りないというのが現実である。その施策が足りないから満足度が不足し、不安が付きまとうというのが安全と安心の概念的構造である。
 ヒューマンエラーの原因に忙しさがある。
 忙しい中では事故が起きやすいというのが現実である。そのことを考えると、交通事故に遭わないためには、まず余裕を持って運転することが大切だということになろう。
 安心というのは、個人の気持ちの問題だが、安全というのは、確かに社会的要因である。
 ということは、地域を初め、社会全体で考えなければならない概念であることは確かだ。しかしそれは、社会という大きな枠組みだけではなく社会の成員である個人問題でもあるということを考えなければなるまい。
 つまり、自分で自分を守るという概念も必要だ。
 そのために何をするのかということを知らなければ自己防衛はできない。
 人は、安全のためにまずそこから始めるべきではなかろうか。
 自分のことは自分でできるだけやり、できないところを社会がカバーする、そこまでの道程は実に遠いという感じがする。






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最終更新日  2007.06.16 17:30:34
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