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カテゴリ:読書論(術)
読書論【電子書籍】[ 小泉信三 ] なんでもそうだが、型にはめたい御仁がいる。 読書論もそう。 本書なんざあその典型で、まず古典を読めとか、複数回読めとか姦しい。 しかし、読んだ本の中身などいったいどれだけ覚えていられるのだろうか。 それなら、読まない方がいいとでもなるのかどうか。 読書論、小泉信三の時代は本書のとおりでよかった。 しかし今それが通用するかどうかということ。 私は明らかに通用しないと思う。 そもそも読書が多様化してきた。 著者が言うように本は、古典だけではない。 それから紙の本に対して電子書籍もとても立派になってきた。 私は、十年ほど前から、一つの課題として、紙の本VS.電子書籍という問題を考えてきた。 まあ、とっくの昔にこの2つは違うもの、すなわち舞台が違うのだから論じても仕方ないという結論に達した。 今の私の読書は、ほとんど電子書籍だ。 電子書籍を利用すればするほど、紙の本には戻れない。 紙の本論者曰く、余白にモノが書けない、自分のものとして収蔵できない、アンダーラインを引けないなどなどの意見が出て、それゆえ紙の本が優れているという論理である。 しかしながら、電子書籍も自分のものとして収蔵可能だし、アンダーラインは引けるし、メモも書けるんだよ。 そして、なにより、神の本より優れている点は、活字の大きさを大きくしたり、小さくしたりできること。 それから、読み上げしてもらえること。 これによって読書の幅が広くなり、読書が楽しくなった。 クラシックな読書論によれば、まずは学校の図書館を充実させ、貸し出して子供たちに本に親しんでもらう。 そののち、読み上げ会だのなんだのでさらに親しんでもらうというもの。 しかしねえ、そのレベルをも超えてしまっている小学生もいるんじゃないのか。 そんな子供だましの本読みなどすでに超えて、自分の世界を突き進んでいる子供も十分いると思うのだ。 私が言いたいのは、もう読書の方法論として型にはめるのをやめようや、ということ。 本は読まなければならないものではない。 読みたくなかったら読まなければよい。 義務感にほだされて読めなくなった、読み進めなくなったという場合、立ち止まれ、その本を捨てろ、それでいいんだと思う。 確かにアウトプットは重要だけれど、そうしたからとて、多くの読書論者が書いている通り、自分に定着などするわけがない。 ただただ今の私のように懐かしがって昔のブログを読んでいると、ああ、あんな本も読んだのだったなあと思い出すほどのことなのだ。 とにかく読書を型にはめるのはよそうや。(1/19記) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.04.17 05:45:54
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