|
カテゴリ:読みきかせ・表現よみ(音読・朗読)の工夫
読み聞かせ・表現よみ・朗読について、考えるのですが、 それらに、共通する基調は、語りであると 最近、つくづく思うのです。 そう言えば、僕らの研究会の指導者であった、大久保忠利も 晩年、盛んにそう言っていました。 (これは、B4番のわら半紙に書いものを、研究会に提起していますが、 氏の著書の中には、出ていないように思います。) 妻が師事していた山内雅人(*で詳しい)の朗読も聞いてきました。 氏の朗読を聞くたびに、その世界の本質を実体験してきたように思います。 ああ、朗読は、語りなのだと。 (氏の朗読を聞いていますと、自分の世界が広がり、 気持ちが自由になり、心が落ち着きます。 まさに、語りの世界の力なのですね。) 大久保が言っていたことと、山之内氏の朗読の世界が 同じだったのです。(大久保と山内氏は、NHKで仕事をしていた 関係からか、親交があったと、山内氏から、聞いた事があります。) 遠野の語り部の語りを聞きに行った事がありました。 ここの世界も、まさに語りでした。 山内氏の主宰した放送表現センターには、氏が、活動中、 関定子(カーネギホールで、日本歌曲を歌い、ニューヨーク子を総立ちにさせた という歌手)や 塚田佳夫(由紀さおり・安田祥子のピアノ伴奏をしていて、 紅白歌合戦にも出ている。芸大声楽家出身)等も、朗読の勉強に来ていました。 塚田氏の朗読会を山之内氏の脇で聞いていた事があるのですが、 氏は、やはり、語りという視点から、批評をしていました。 語り、このことは、読み聞かせ・表現よみ・朗読の基調なのですね。 なれない方の読み聞かせ・表現よみ・朗読を聞いていますと、 この語りの世界をまず、感じないのですね。 「わたし、読んでいます。」 という感じが伝わってくるのですね。 それは、活字を、そのまま、声にして、読んでいるという 感じなのですね。 そうではなくて、前に聞き手がいて、 語ってあげているという感じで、音声化できると いいのではないでしょうか。 「声で読む」のではなく、「声で語る」になるといいのでしょうね。 * そういえば、『声に出して読みたい:::』とか言う本が、ベストセラーになりましたね。 このことも、それでは、すぐに、できるかというと、 そう表現できるようになるには、時間がかかりますね。 でも、いつも、意識していると、語りになっていくし、 間違った「読んでいます」調には、ならないですね。 (田村 利樹記) このブログ、ご賛同の方は、応援クリックして下さると、うれしいです。 小さなクリックでも,教育を良くする一歩だと信じたいです。 本日、お陰さまで、教育ブログランキング・7位になりました。 皆様に学ばせていただきながら、ここまで来ました。 応援クリックは、下のマークです。1日1回、有効です。
下記の本は、研究会がまとめたものです。 上記の内容が、子どもとの実践で、詳しく書かれています。 絵をクリックしますと、本の概略が分かります。そして、楽天での購入の仕方も分かります。 尚、本書は、1~6年まで、各学年あります。 各学年の教科書教材の授業報告があり、子どもと教師の表現よみが、CDに入っています。。
* 山内雅人 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 山内 雅人(やまのうち まさと、1929年4月3日 - 2003年4月7日)は、東京都出身の日本の男性声優。早稲田大学法学部卒業。別名に、山ノ内雅人、山内幹也がある。 1950年に早稲田大学を卒業して、1951年NHK東京放送劇団に4期生として入団。同期に黒沢良、川久保潔ら。ラジオドラマ『笛吹童子』の霧ノ小次郎役でデビュー。ラジオ『楽天くらぶ』の司会やテレビ『私だけが知っている』のナレーターとしても活躍し、出演本数は2万本以上とも言われる。NHKではNHK放送業務局長賞を受賞している。1977年に退団した後は、フリーで活動。 美しい話し言葉の普及と朗読に力を入れ、朗読会や朗読教室を主宰。1974年には国語学者の金田一春彦と共にNHK文化基金を元に、江戸と東京の言葉を聴衆する放送表現教育センターを設立。同センターはやがて、ナレーターや声優の養成所となり、山内は代表を務めて後進の指導にあたっていたが、2003年4月7日に肺癌のため逝去した。享年74。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[読みきかせ・表現よみ(音読・朗読)の工夫] カテゴリの最新記事
|