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カテゴリ:学校・教育原理・教育全般
遊びだ勉強だ仕事だと区別するようになったのは、何時の時代だろう。
暮れと正月、孫(小1の2人と小三の1人)が来て、付き合っていましたら、 そんなことを、考えました。 彼等にとっては、暮れの大掃除、それが終わってのおやつ、 その後の公園でのブランコ、帰宅しての勉強が、みな、同じ生活の中の 一つなんだと、見ていて感じられました。 それぞれを、皆、喜んでやっています。 逆上がりができないで挑戦すること 大掃除で、隅が綺麗にできないで工夫すること たこ揚げ上手にできるように試行錯誤すること 硬筆書写を上手に書き上げる事 ・・・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・ などは、皆、同じ気持ち・態度でやっています。 一段と上を目指して、動いています。 特に、勉強は、苦労だ、大掃除は、大変な仕事だ という感覚はないようです。 僕の中に大掃除、ご苦労さんという気持ちがあるのですが、 彼等にとっては、ブランコ遊びと同じなでやっていたようです。 硬筆書写をやって、勉強、よくやったね、ご苦労さんという気持ちが 僕の中にありましたが、彼等は、凧揚げと同じ気分でやっていたようです。 公園に行くのに15分かかるのですが、そこまで、 小1の孫は、「繰り上がり・繰り下がりの問題を出してくれ。」 というので、やりながら行きました。 これは、なぞなぞをやるようにやっていました。 翌日、公園にいく時は、学校で習った歌をドレミで歌い出しました。 「どうして、そのように歌えるの?」 と聞くと、 「リコーダーを習っているので・・・・。」というのです。 学校の音楽と、彼等の遊びや生活と一体です。 僕の中に一体、いつ、仕事や勉強は、ご苦労さんという感覚が、うまれたでしょう。 仕事については、小さい頃、嫌なのに無理にやらされたからでしょう。 勉強については、少し、受験勉強をしたからでしょう。 でも、今は、これらの嫌さから、解放されました。 子供達には、この嫌さは、いつかは感じても、 早く、克服できるようになって欲しいものです。 それが、自分を大切にし、他を大切にする自己肯定感の土台ですから。 多くの方に読んでいただきたので、 ランキングに参加しています。 下のマークの応援クリックして下さると、うれしいです。 1日1回、有効です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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