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カテゴリ:学校・教育原理・教育全般
教育の命を知らされた。 『数学でつまずくのはなぜか』講談社現代新書・小島寛之を読んだ。 氏のブログに次のような文章がある。(2008-01-18 『数学でつまずくのはなぜか」) ・・・・・・・・・・・・・・抜粋・ *は、今日2729の意見・・・・・・・・ でも、この本が、ぼくのこれまでの数学指南書と決定的に違うのは、 「障害」というテーマを表に出したことだ。 以前の日記に書いたぼくの実際の生徒やサマンサ・アビールのように、数学をうまく受けとることのできない「障害」が実際に存在している。 でも、たいていの人が、いつかは数学で落ちこぼれるというその現実を考えると、そして、ぼくも数学に敗北した一人であることも考え合わせると、すべての人が数学に「障害」を持っているというべきだろう。 * ここの視点が鋭い。このことは、数学教育のみならず、国語科教育・音楽科教育・・・・・・・のすべてに言えることである。
ならば、むしろ、こう考えるほうが自然だ。「障害は、数学自身のほうにあるのだ」と。 * これなのだ、僕が国語科教育を無意識で追及してきたのは。でも、それが言語化された。 ここには、障害の対象を分析して、人間がつまずいていることを克服する視点がある。こんな教育を僕は、追及したい。これが、教育の命である。 ぼくの生徒だった数学にトラブルを抱えた娘やアビール女史の延長線上に、ぼくらもいるというだけなんだ。今回は、そういうことを徹底的に書いた。(中略) この本は、こどもたちと数学のあいだがらのことを書いた本だ。 でも、「どうやったらこどもたちに上手に数学を教えられるか」ということを書いた本ではない。どちらかというと、「どうやったらこどもたちから数学を学ぶことができるか」、それを書いた本である。 さらにいうなら、数学がいかに有能で役に立つものか」を押しつける本でもない。 そうではなく、「数学を役に立てる必要なんてないじゃん」ということを説いた本だ。誰かと友だちになりたいなら、まず、そいつを何かに利用しようなんていう浅ましい考えは捨てることだ。 数学と「数学友だちになりたい場合も同じである。まず、そいつの話をじっくりと聞き、いいところも悪いところも知ってあげることだ。そして思いっきりけんかをすることだ。そうした末に、そいつの良さといとおしさがわかるのだから。 多くの人は、「数学は完全無欠なもの」と思ってる。だから、その「クールさ」に嫌悪感を持つ人もいるし、なんとかリベンジして自信を回復したいと躍起になる人もいる。 でもそれは全くの誤解だ。 数学は、紆余曲折の末作り上げられてきたし、まだ完成からほど遠いものだ。今の数学は、宇宙からそのままの形で降ってきたものではなく、数学者たちが歴史の中で悪戦苦闘して作り上げたものだ。 その過程で、失敗も間違いもあったし、遠回りもした。だから、現在の数学にはその傷としての「でこぼこ」がまだまだたくさんあって、それで人は足をとられて転んでしまうのだ。 数学につまずいたからといって、それは君の落ち度ではない。それは数学に「でこぼこ」があるせいなのだ。 けれどその「でこぼこ」は、数学の人間臭さだから、君はひょいひょいとかわして歩く必要はない。 転んだら、立ち上がればいいし、何度も転ぶならそこだけ迂回して進めばいいと思う。 * ここには、すべての教科の学習をするときの心構えが書かれている。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これは、教育論でもある。学力テストが、4・22日に、今年もあるという。この学力テスト、教育を破壊するものである。
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